ぽろっぽの日記

人生、読書、健康、つれづれ。ー日々感じたことを言葉と写真で表現したいー

読書感想  宮本敬一『わかる仏教史』

立て続けに仏教の話になってしまう。自分も含めて日本人は無宗教だと言うが、やはり仏教はお葬式やお盆などで生活に身近な存在ではあるので、自然と関心が向く。

 

宮本敬一『わかる仏教史』をようやく読み終えた。著者はインド哲学を専攻していただけに、インドの仏教に造詣が深く、この本は初期の仏教(原始仏教)から、日本の江戸時代に至る仏教までを比較的平易な文章で説明してくれ、仏教の歴史の歩みをざっくり理解できたのでおもしろかった。

 

そもそも、仏教は今から遡ること2500年ぐらい前(紀元前500年)に誕生し、日本が正式に仏教を国教としたのが、聖徳太子飛鳥時代のことであるので、インドから日本に伝わるまで1000年も経っていた。

 

1000年も経つということは当然その間に仏教には多くの宗派がでてしまい、日本に伝わるころはだいぶ当時の釈迦の言っていたことも正確には伝わっていなかったのだろう。当時は今みたいに、活版技術もないし、しかもお釈迦様は経典を残さなかったので無理もない。

 

ちなみに仏教は釈迦の死後、部派分裂があり、上座部仏教大乗仏教に分かれ、日本に伝わった時は大乗仏教だった。この両者の違いをざっくり行ってしまうと、仏教の目的である悟りへ至るには全社は出家至上主義で修業を重んじ、後者は出家しなくても悟りができるし、親鸞の開いた浄土真宗では悪人でも悟りへの道があると言われている。大乗仏教は大衆向きであるし、教義もゆるやかなので、それが日本人の性格に合っていたのだろう。

 

仏教の歴史を知っておもしろいと感じたのは、最初は出家して悟りを目指すものだったのが、聖徳太子のいる時代の日本に伝わったころは、鎮護国家、建築・土木技術も含めた当時、最新の輸入思想だったところだ。これって、明治近代化の西洋思想の輸入とかぶっていて、おもしろい。つまり明治維新の時と同じように、飛鳥時代は日本がそれだけ国土強靭化を図らなければいけない時期だったようだ。

 

奈良時代から平安時代に移り変わるときは仏教はより日本人に合う形に変わっていき、いわゆる日本仏教が生まれた。それから現代にいたるまで、仏教は色々な宗派が生まれ、日本人の心に寄り添う形となっていく。

たとえば盆踊りは時宗開祖の一遍の踊り念仏からきている。

庶民が仏教形式でお葬式をやるようになったのは江戸時代からだそうだ。

こんな感じで仏教は徐々に僕たちの身近な存在になっていった。

 

だからその分、お釈迦様が本当に何を伝えたかったのかは逆に知るのが難しい。

宗派が色々ありすぎて、教義も様々な解釈があるので、ごちゃごちゃになる。恐らく唯一僕らの中で身近な教義は「空」について説いた『般若心経』だろう。

 

このように、仏教は多種多様であるから今も残っているが、初期の仏教を知ることはそれだけ、お釈迦様の最初の説法に近づくことを意味するので、そこに僕は関心を持っている。

 

この世は苦しみである。初期の仏教資料から伺い知ることができる、お釈迦様の説いた4つの真理の一つではあるが、僕は非常に納得させられた。きっと最初の仏教の教義はシンプルであり、脚色されていないのだろう。そこに僕は魅力を感じられる。僕は出家することはできないけど、生活に取り入れやすい感じがするのだ。