ぽろっぽの日記

人生、読書、健康、つれづれ。ー日々感じたことを言葉と写真で表現したいー

ちょっと脇道にそれてどこかに行ってみよう

この11月7~9日は三連休 だった。

結局この三連休の間どこも出掛けることなく、無為に過ごしてしまった。

休み前はどこに出掛けようかなと、多少なりとも気持ちが少し高揚するが、結局休みの日になると、身体がだるくて、どこに行く気もなくなってしまう。

平日の仕事の気疲れとかで、休日は身体を休めるので精一杯だ。

 

三連休最終日の今日の夕方、少し身体を動かしたい気分になったので、ほんの30キロほどサイクリングをした。

f:id:great1-1geist:20201109162611j:plain今日は空気が澄んでいて、遠くの山々が良く見えた。日光の男体山赤城山が見渡せ、近所をサイクリングしているだけなのに、どこか遠くへ来た気分になる。

 

途中まで、いつものサイクリングコースを走っていたが、いつもと同じ道じゃつまらないから、ちょっと脇道へそれてみた。

脇道へそれると、小さな街へ入った。夕暮れの中、スーパーと八百屋の中間ぐらいの小規模の店舗や狭い往来に店舗が並んでいるのを見ると、どことなく昭和の雰囲気が残っていて、懐かしい気分になる。

ちょっと道をそれるとこんな場所があったんだな。新しい場所に来たことと、新たな発見をしたことが嬉しかった。子供のときに新しいことをたくさん経験したり、発見をする。それがいつしか大人になると、同じことの繰り返しの日常でそうしたことがなくなってしまう。あの新しいことを経験したときの感動はやはり大人になっても必要なんだ。サイクリングでちょっと脇道にそれて普段行かない場所に行っただけなのに、今の自分にはそういうことが必要だと感じた。

 

ちょっと脇道にそれてどこかに行ってみよう。

 

ほんのささやかなこの気持ちの発端によって、自分は新しい発見と、懐かしい気分にさせてくれる景色に出会うことができた。

ほとんど何もしていない三連休だったけど、三連休最後のサイクリングはやってよかった。

繰り返しになるが、

脇道にそれてどこかに行ってみよう。

そんな気持ちで何事もやると、新たな発見があっていいのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

会話のストレスと原因と解決について

仕事のストレスのうちで職場の人との会話がある。別に叱責されているわけでもなく、単なる雑談で嫌な汗をかくことがある。

 

なぜ自分はそんなにストレスがかかっているのだろうか。まずは安心していないということだ。何かが自分を脅かそうとしていると身体が感じているから厭な汗をかく。

 

じゃあ何が自分を脅かそうとしているのか。

それは自分の会話が場の空気を壊しはしないかという不安からだ。

 

こんなこと言ったら相手はどう思うか。

何か自分が変なことを言って、場の空気を乱したり、不快に思う人はいないだろうか。

一つ一つ発している言葉に神経を使っている自分がいる。

でも会話は待ってくれない。

今、何を言葉にするべきか考える時間がないまま会話は進んでいく。

会話についていくのが精一杯で、自分が何を言葉にするべきかわからず、不安と焦りを抱えたまま口から言葉を発していく。

僕は不安と焦りをを抱えながら会話をしていることが多い。

 

でも結局のところ僕は周りから良く思われたい、そう思っているから空気を読もうとする。しかも元々空気を読むことが下手だから無理をしてしまっている。

 

空気を壊しはしないかという不安

空気を読もうとして、自分にとって無理なことをする

 

この2つが職場における会話のストレスの原因だ。

2つとも会話の空気によるストレスなのだから、あえて空気を無理に読まないようにすればストレスはなくなる。

 

でもそもそも空気を読もうとする背景には、自分が周囲から変な風に見られたくないという想いがあるからだ。

 

つまり変に見られることが良くないと思っている自分がいる。

変に見られると何が不味いのか。

 

孤独になることの不安?

周囲から認められたい?

 

この2つに共通していることは自分自身のありのままの存在を自分が認められていないことだと思う。

自分の存在や、することなすことに自信を持てていないから、孤独になることの不安を感じたり、周囲から認められたいと思っている。

 

自分の存在や、することなすことに自信を持つこと。

それが出来れば周囲の目はそれほど気にならなくなり、会話のストレスもなくなるかもしれない。

 

f:id:great1-1geist:20191111114256j:plain周囲のことを気にすることなく、自分の存在や行動に対して肯定できるような趣味を持とうと思う。

 

 

 

 

 

しなければいけない。いつしか趣味が義務になっていた。

しなければいけない。

 

仕事で追われる平日のみならず、休日も焦燥感に駆られていた。

 

自分に自信がないから、自信をつけるために無意識に何かをしなければいけないと思うようになっていた。

 

だから気づけば休日も何々をしなければいけないと思うようになっていた。

 

いつの間にか趣味もこんな思考になり、いつしか趣味が義務になっていた。

 

趣味をしなければいけないと。

 

本来は気持ちを休めるための趣味なのに、いつの間にか自分に自信をつけるのが目的となってしまい、気持ちを休ませるどころか疲れさせるものになっていた。

 

本を読むのも写真を撮るのも自転車に乗るのも、自分の能力の向上を主として考えていた。

 

だから逆に趣味が億劫になり、休日に何もできなくなっていた。

 

でも本来の趣味はそうじゃない。

 

ただ純粋に楽しめればいいんだ。

 

能力の向上とか考えず、まずは楽しめればいいんだ。

 

そしてやりたくないときはやらなくていいんだ。

 

それが趣味なんだから。

 

そんなことを思いながら、久々に写真を撮りにふらっと群馬まで行った。

 

後閑城址公園という群馬県安中市にある公園だ。

 

その公園は妙義山を見渡せる高台にある。

 

雨上がりの夕暮れ時にシャッターを切ったが、夕焼けに照らされた雲海が幻想的だった。

 

久々に写真を純粋に楽しめた。

 

しなければいけないではなく、やりたいからやるというシンプルな気持ちで写真と向き合うことが出来た。

 

 

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夕暮れと雲海

 

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黄昏時の妙義山
 

しなければいけないではなく、やりたいからやるというシンプルな理由でやっていこう。

僕は過度に仕事を神聖化し過ぎているから辛いんだ

仕事が嫌でしょうがない。なぜ嫌なのかもう一度考えてみる。

自分の心に浮かんできたきたものは以下のようなものだ。

 

①仕事が楽しいと思わない。

②他人のペースに合わせながら仕事するのが辛い。

 

この2つが仕事の嫌な理由なら解決する方法も出てくる。それは2つの理由の逆を選べばいい。

 

①仕事が楽しいものを選ぶ。もしくは今やっている仕事を楽しくなる方法を考える。

②他人のペースに合わせなくて良い仕事を選ぶ。

 

解決方法についてもう少し考えてみる。

①仕事が楽しいものを選ぶ。もしくは今やっている仕事を楽しくなる方法を考える。

転職、もしくは自分で工夫して今やっている仕事が楽しくなるように工夫すればよい。でもそもそも僕は何が楽しい仕事かわからない。だからこの解決方法は簡単なようで難しい。

 

②他人のペースに合わせなくて良い仕事を選ぶ。

フリーランスもしくは自営業の仕事がいいのかもしれない。でも仕事とはそもそも他人が必要としているものに対して、それを解決してあげることによって、仕事というものが初めて生まれるものだから、仕事は絶対に他人のペースに合わさざるを得ない。

 

こうして書くと僕は結局どの仕事をやっても、辛いと感じてしまうような気がする。

そもそも仕事は自分の生活をする上で必要なわけだから、つべこべ言わずに、黙って仕事をすればいい。そう思って仕事をやっている人も大勢いるだろう。だけど、僕はどうもそれができない。黙って仕事が出来ない性格なのだ。だからこうして、延々と仕事の嫌な理由について考えている。

 

そして仕事の嫌な理由が労働環境の悪さとかじゃないから、よりやっかいになっている。仕事が楽しいと思わないという理由は、自分が何の仕事を楽しいか発見しなければいけないし、他人のペースに合わせるのが辛いという理由は、もう仕事する上で根本的に必要な要素が辛いと言っているからだ。

 

ただ、解決策はなくはない。今の仕事は自分にとって、まったく興味がないものではない。つまり、少しは興味があるということだ。そして他人のペースに合わせるというのも、自分から仕事を回しているという発想を持てばいい。仕事に対して受け身だと他人のペースに合わせるという意識が強くなるが、自分から仕事を回しているという意識を持てば、最終的には成果物を渡すために他人にペースを合わせることに変わりはないが、自分が主体となっているので、自分のペースというものが加わわる。

 

仕事は嫌だが、生きていく上で仕事はしなければいけない。嫌でも自分で考えてなんとか仕事をやっていこう。

 

そもそも僕は仕事に対してハングリーじゃないんだな。出世欲、名声欲や金銭欲があまりない。

 

あー、こうして書いててわかったかも。仕事に対して僕はちょっと見下している部分があるんだ。セコセコ働いている自分が好きじゃないんだ。仕事をもっと神聖なものとして扱いたいんだ。でも仕事が神聖なものっていうのは、一部の芸術家ぐらいしか出来ない気がする。芸術家になれないなら、仕事をする上で今の僕に必要なのは、仕事を神聖化せずに現実と向き合うことなのかもしれない。いや、神聖化してもいい。仕事とは社会の穴を埋める作業なのだから。でも、僕は過度に仕事を神聖化し過ぎているから辛いんだ。だから現実の仕事に対して嫌気がさすんだ。もう仕事を少し現実よりに考えて、それでいて神聖な部分も持つ。そういうバランスが今の僕に必要なのかもしれない。

 

 

今の僕にはボーっとすることが必要

ここ数日は調子が良い。

薬が効いているのもあるが、ボーっとすることを意識しているからだと思う。

 

ボーっとすることって案外難しい。ボーっとしているつもりでもいつの間にか何かを考えている。だから、ボーっと専念できるように、最近は外の景色を意識的に眺めたり、鳥や鳴き声や風の音、川のせせらぎを聞くようにしている。そうすると、考えることをやめ、頭や体がほぐれる感覚がある。

 

気持ちの憂鬱は脳の疲労から来ている気がする。だから脳を休ませることが必要だ。脳を休ませるにはボーっとが必要になる。

 

別に無理にじっとしていなくてもボーっとはできる。ゆっくり散歩しながら、あるいは何か手作業しながらでもできる。その時に必要なことは、考えながら何かをするのではなく、今自分が行っていることに専念することが大事だと思う。今自分がやっていることを早く終わらせようとしたり、あるいは別のことを考えたりするのではなく、ただ自分の行っていることにのみ専念する。

 

なんだか禅みたいな話になってきた。

でも今の僕にはボーっとできるようにすることが必要なのは間違いない。

 

読書メモー谷崎潤一郎 ちくま日本文学ー

よくわからないけど、妖艶な世界を表現していると感じた。

色に例えるなら明るめの赤黒い色、紫色な感じ。

『刺青』は人間の悪と美を表現していて、狂気的なものが入っていって、ちょっと目を背けたくなる内容だった。でもあまりにも妖艶で色鮮やかな表現なのでつい読んでしまった。

小説だからこそ、こういう風に感じさせることができるんだなぁと思った。

谷崎潤一郎はすごい表現力を持った人だけは十分に感じた。