効率よく仕事することに抵抗を感じながらも生きるためにやるしかない。
最近仕事に関することばかり書いている。
特別仕事が楽しくなったわけではない。
今後の人生どう生きるかを考えると、やはり登山などの趣味を中心に生きたい。
登山をやるにはお金と時間が必要だ。これは登山に限ったことではないけど。
そのためには仕事を効率よくやらなきゃいけない。
そうしないと、休日に登山する体力を残しておけないからだ。
要は趣味を充実させるために仕事の記事を備忘録として書いている。
よくよく考えると僕は仕事を効率よくやることにあまり頭を使ってこなかった。正確には言えば効率よくやる努力を怠ってきた。
効率よくやるスキルもないから言い訳のようだが、仕事を効率よくやることはズルいような感じがしていた。
例えばこんなことに抵抗を感じる
・自分の仕事はできる限り減らすように人に振られるようにする。
→頼まれてもやんわり断る
・自分で調べず、すぐに人に聞く
→すぐに聞いても大丈夫な人を探す
・自分で余計な仕事を見つけない
→緊急度が低いものは自分で気づいても誰かにやってもらうまで手を出さない
でも時にはこういうスキルも必要だと思う。そうしないといつかは自分が潰れてしまう。
本当はできる限り仕事を断らず、自分で調べて、気づいたことは知らんふりしたくない。でも人生の優先順位で考えると、これは無理だ。これらをやろうとするときっと登山はできなくなって、心身ともに疲弊する。
かといって、全部が全部効率化するのもなんだかモヤモヤするので、バランスをとるように心がけたい。効率化を求めすぎると人としての器が小さくなるような気がするからだ。
やってほしいことを他人にうまく伝えるのは難しい
また仕事の話。
今日は他社の人にやってもらいたいことがあって、それを依頼した。
依頼後、すぐに完成したという連絡があったが、自分の意図したものとは違っていた。
原因はいたってシンプルでコミュニケーションがうまく取れていなかった。
・何を相手にして欲しいのか。
・なぜそれをする必要があるのか。
・相手は自分のいったことを理解しているか。
→わかりやすく伝えられているか。
書き出すとシンプルだけど、これができていなかったと思う。
きっと、自分目線で伝えてるからいけなかった。相手の目線で立つと、こっちの常識は相手の非常識も多々あるから、シンプルにわかりやすく伝えないといけない。
はー、仕事って難しいなぁ
もう10年近く仕事しているのに、まるで1年目みたいな感じだ。
とりあえず、日記書くときは落ち込むだけ落ち込んで、仕事の時は気持ちを切り替えよう。
最近、日記をちょこちょこ書いてるが、備忘録や反省、小さなことを書くことによって、自分の頭の整理をつけるようにしている。
仕事がこなせない
要領よく仕事がこなせない。
いや自分は要領よくという言葉を使えるレベルに至ってない。
普通のレベルの仕事がこなせていない。
次から次へとくる仕事に優先順位をつけられず、しかも何を求められているのかが、よくつかめてないから、無駄な資料を作ってしまったりしている。
そんなこんなで今日は自分の思い通りに仕事が進められなかった。
思い返すと受験勉強の時もそうだったな。
ゴールを明確にせず、優先順位をつけず、がむしゃらに勉強していた。
結局あの頃と変わっていない。
限られた時間の中で求められている成果を出すにはどうすればいいか。
・仕事の優先順位をつける
・ゴールまでの道のりを明確にする
じゃあ上記2つをできるようになるためにどうすればいいか。
・仕事の優先順位をつける
⇒仕事の緊急度(デッドライン)を明確にする
・ゴールまでの道のりを明確にする
⇒ゴールまでの道のりを明確にするための情報収集をする
①上司に頼まれたら、上司が何を求めているかはっきりさせる
②その道に詳しい人に聞く
③自分でストーリーを作り、ゴールまでの道のりを簡潔に説明できるようする。
こうして文字に起こすと仕事を要領よくこなすって難しそうだ。
何も考えず山に登りたいなぁと考えてしまいます←現実逃避
2021年7月 谷川岳
久々に泣いた 映画『ふるさと』を観て
久々に泣いた。
泣いた理由は映画だ。
アマゾンプライムで会社から帰宅中に何となく神山征二郎監督の『ふるさと』を見ていたら、いつも間にか映画の世界に引き込まれて、終盤のおじいさんが亡くなるシーンでボロボロ泣いてしまった。
なんでこんなに泣いたんだろう。
映画の話はいたってシンプルなもの。
ダム建設で廃村になる村が舞台で、そこで奥さんに先立たれ、認知症が始まったおじいさんが人公だ。おじいさんは同居する息子と喧嘩をしたり、同じ村の少年がおじいさんが釣りの名人だと知り、一緒に釣りをするシーンなど、淡々と物語は進んでいく。
でもなぜかこの映画は引き込まれるものがある。
風光明媚な村が映し出されるシーン、おじいさんが息子から厄介者にされてしまうシーン、おじいさんと少年が一緒に釣りをするシーン
ダム建設で廃村になる村とおじいさんの境遇が重なっているからなのだろうか。この映画には懐かしさと寂しさが強烈に伝わってくる。しかも不思議なのはその強烈さが伝わってくるにもかかわらず、物語全体としては淡々と話しが進んでいる。そこにとてつもないリアリティを感じる。今まで見た映画の中で初めて感じた感情だ。
よくわからないけど、一言で言ってしまえば、一生心に残る良い映画だった。