モヤモヤした一日からの更級日記
今日はモヤモヤした一日だった。
朝から何もやる気がせず、気分が重い。
とりあえず、近場の温泉に行った。
近場といっても熊谷から車で30分もいけば山を眺められる温泉に入れる。
そこで少し気分が良くなったけど、家に帰ったらまた気分が重くなる。
家に帰ってからも何もやる気がしないので、今使ってる山のアプリYAMAPが個人的にイマイチ(特にGPSの精度)なので、ヤマレコに移行してみることにした。移行するためにGPSのログなり写真なりをヤマレコに移していたら夜になった。
夜ごはん食べた後に何げなく更級日記を読んだ。その中に目に留まった文章があった。
その後は、何となく家事などに忙殺されて、物語のこともすっかり忘れてしまい、現実的でまじめな状態にだんだんと心も落ち着いてきました。
ー中略ーかといって、本当にまじめに暮らすのだったらいいのですが、そうでもなくどっちつかずの状態なのです。
そう、どっちつかずなんですよ。
しかも菅原孝標女と違ってぼくは何をやりたいかもわからない。
とりあえず更級日記を読んで少し気持ちが楽になって、こうしも僕も日記を書いている。
コロナの療養期間が終わった
コロナの療養期間が終わり、ようやく外を出歩けるようになった。
ずっと家にいたせいなのか、病み上がりなのか、あまり気分は良くない。
熱や喉の痛みもなくなったが、やはりコロナが身体にかける負担は大きかったのだろうか。
ただ、明日から仕事というのもあり、外での生活も慣れなきゃいけない。
今日はちょっとした買い物したり、喫茶店いったりした。
ほんのちょっとした外出だけど、かなり気分転換になった。自分にとって家に閉じこもりはあまり良くないということを改めて実感した。
そして、なによりも気分転換になったのは、車で出かけてるときに外の景色に秩父連山を眺められたことだった。
自然と身体の力が抜けほっとした気分になれる。
熊谷に引っ越して良かった。
そう思った瞬間でもあった。
学生時代から何も変わっていない
学生時代から何も変わっていない。
今朝、布団の中でそう思った。
コロナにかかり自宅療養中で、考える時間が増えたからこんなことが頭によぎったのだろうか。
何も変わっていないというが、表面的、内面的に変わったところもある。学生から社会人になり、自分で稼ぐようになり、結婚もし、家も買った。仕事に対する考え方、人に対する接し方も学生時代よりも成熟したように思う。
それでも自分は何も変わっていないと感じる。そんな自分に焦りと苛立ちを感じる。なぜ?
自分は本当にこの生き方のままでいいのか。
その疑問をずっと変わらず学生時代から持ち続け、今もなお答えを見つけ出せていないからだ。
いったい自分は何をしたいのだろう。
いやむしろ、どうやって自分と社会との価値観、システムに折り合いをつけたらよいのか未だにわからない。
そこが学生時代と何も変わっていない。
2021年7月 八ヶ岳の森にて
コロナになった
コロナになった。世間では第7波と騒いでるけど、見事に自分が感染してしまった。とりあえず10日間は外出禁止ということで、ひたすら家で引きこもっている。
最初は喉の痛みから始まり、熱は3日間ぐらい続いたが、もう喉の痛みや熱はない。職場に復帰するのは8月1日からの予定だが、それまでには完治しているだろう。後遺症がなければの話だけど。
今現在はもう体調もかなり回復して、部屋に閉じこもってさえいれば映画見たり、マンガ読んだり、本読んだり、好き勝手できる状況だが、どうも気分がすぐれない。
せっかくの思わぬ休みを得られたんだからもっと思考をポジティブにして、せっかくのこの休みを満喫すればいいと思うようにするんだけど、中々うまくいかない。
とりあえず独りで涼しい山に登りたいな
死ぬまでにやっておきたいこと
今日は近場の山に登ってきた。
週末は登山が日課になっている。
朝日を浴びた杉林の中をひとり登りながら、ふと考えた。
死ぬまでに何をしたいのか。
パッと思いついたのが3つほどある。
1つ目は妻とずっと仲良く暮らすこと。老後に終の住処を見つけて、家をローンなしで一括買ってしまうのもいい。
2つ目は登山をすること。ここ1年は登山に夢中になった1年だった。このままどんどんのめり込んで、色んな山を登って、色んな景色を眺めたい。
3つ目は友人と定期的に会って、色々話をしたり、どこかに遊びに行きたい。歳をとっても、夏目漱石の「吾輩は猫である」くしゃみ先生とその友人たちみたいに、どーでもいいことや、真面目なこと、色々話せると楽しいだろうな。
こうして書いてみると案外死ぬまでにやりたいことはシンプルかもしれない。
そして、今実現できていることがほとんどで、それをいかに深めていくかということを自分は求めていることに気づいた。
改めて仕事は、死ぬまでにやりたいことの3つを実現するための手段ということ再確認した。
手段であるから、仕事に対しては臨機応変に対応したい。
例えば仕事の精神的負荷を減らすには、何も早く仕事を切り上げることや、なるべく仕事に関わらないようにするだけではない。
仕事に興味を持つことが逆に精神的負荷を減らすことだって有りうる。
ただ気をつけなきゃいけないのは、生活の大部分を仕事に占められないようにすることだ。
死ぬまでにやりたいこと
それをよく考えて生きていくことが悔いのない生きた方に繋がるような気がする。