ぽろっぽの日記

人生、読書、健康、つれづれ。ー日々感じたことを言葉と写真で表現したいー

今の僕にはボーっとすることが必要

ここ数日は調子が良い。

薬が効いているのもあるが、ボーっとすることを意識しているからだと思う。

 

ボーっとすることって案外難しい。ボーっとしているつもりでもいつの間にか何かを考えている。だから、ボーっと専念できるように、最近は外の景色を意識的に眺めたり、鳥や鳴き声や風の音、川のせせらぎを聞くようにしている。そうすると、考えることをやめ、頭や体がほぐれる感覚がある。

 

気持ちの憂鬱は脳の疲労から来ている気がする。だから脳を休ませることが必要だ。脳を休ませるにはボーっとが必要になる。

 

別に無理にじっとしていなくてもボーっとはできる。ゆっくり散歩しながら、あるいは何か手作業しながらでもできる。その時に必要なことは、考えながら何かをするのではなく、今自分が行っていることに専念することが大事だと思う。今自分がやっていることを早く終わらせようとしたり、あるいは別のことを考えたりするのではなく、ただ自分の行っていることにのみ専念する。

 

なんだか禅みたいな話になってきた。

でも今の僕にはボーっとできるようにすることが必要なのは間違いない。

 

読書メモー谷崎潤一郎 ちくま日本文学ー

よくわからないけど、妖艶な世界を表現していると感じた。

色に例えるなら明るめの赤黒い色、紫色な感じ。

『刺青』は人間の悪と美を表現していて、狂気的なものが入っていって、ちょっと目を背けたくなる内容だった。でもあまりにも妖艶で色鮮やかな表現なのでつい読んでしまった。

小説だからこそ、こういう風に感じさせることができるんだなぁと思った。

谷崎潤一郎はすごい表現力を持った人だけは十分に感じた。

読書メモー『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』村上春樹ー

彼はあまりインタビューを受けないことで有名だが、これは彼の貴重なインタビューを

まとめた貴重な本だ。

 

彼が目指す小説のスタイルとは

なぜ彼は走るのか

彼にとって小説を書くことは何を意味するのか

 

小説とは違い、村上春樹自身のことを語っているので、村上春樹の小説が好きな人は十分に楽しめる内容だ。

彼の作品を知らなくても、小説が好きな人なら、小説家とはこういうことを考えながら書いているものなのかと参考になるかもしれない。

 

村上春樹にとって小説を書くことは、深い井戸に入っていくことに例えている。まだ言葉になる前の深い世界に入り込み、そこで様々なことを感じる。そしてそれを言葉にしていくこと、物語にしていくことが、彼の小説となる。

 

僕が彼の小説に引き込まれるのは、そういう言葉になる以前のものの世界を彼によって言葉で表現してくれ、その世界に連れて行ってくれるからだろう。

苦しみながらも、世間に流されず自分の頭で考える。

昨日は気になっていた桶川の賃貸一戸建ての物件を内見した。駅からは遠いけど、日当たりは良くて、築年数の割に綺麗だった。でも妻の趣味のピアノが置けないとのことだったので断念。もうしばらく今の家に住みそうです。

今日は体調が悪かったので、ソファーで横になって1日を終えた。本を読む気力さえもなく、ひたすらゴロゴロして虚無の日を過ごした。

仕事やプラベートも含めて自分はどんな生活が合っているのだろう。とりあえずわかっていることは、サラリーマンの生活は自分にとって中々しんどいということだ。

世の中こういうものさ、大人ってこんなもんさ
そういうなんとなくある世間の空気に流されたくないという反骨心が自分にはあって、それが自分をしんどくさせている気もする。

でもやっぱりそこは反骨心を持ち続けたいんだよね。生きるって言うのは色々悩み、自分の頭で考えながら行動していくことだと思う。結局自分の望んでいることは流されて楽になるより、苦しみながらでも、自分なりに生きる道を模索することなんだと思う。

僕の想像する住みたい武蔵野の風景

最近は割と精神状態が落ち着いてきている。

薬が効いてるのかもしれない。

まだどこかに遠出したり、運動する元気はないけど、本を読んだり、散歩したりしながらボチボチ過ごしてる。

何もしたくないときはボーッとしたり、スマホで賃貸物件を見て、次引っ越すとしたらどこがいいだろうと想像をして楽しんでいる。

今の家は一年半前に住み始めたばかりなんだけど、家賃が高いし、場所的にどーもしっくりこなくて、良い物件があったら引っ越したいと思っている。 

もしかしたら自分は同じ場所に定住できない人間なのかもしれない。

家を買っちゃうと、もうそこから動けなくなって、未来が決められちゃう見たいで、息が詰まるような気がしてしまう。

住んでみて、初めてその地域と自分の相性がわかったりする。でももし家を買っちゃうと相性が悪くても住み続けなければいけない。それが自分には多分耐えられない。

埼玉に戻ってきて五年目だけど、僕は埼玉の中でも秩父連山が見える荒川沿いが好きなことがわかった。埼玉の利根川の東部や、江戸川沿いの平野部は本当に田畑だけの景色で、何か物足りなさを感じてしまう。埼玉県と一言でいっても、地域によって都市の規模や風景が全然異なる。
自転車や車を走らせて僕が景色に魅入られる時は、いつも決まって広大な田畑を背に秩父連山と富士山の姿がそこにはあった。

昔の埼玉や東京は武蔵野という地域だったが、僕にとって武蔵野というと、こういう風景を想像する。

今の自分は武蔵野に住んで、山々に囲まれながら、田畑の中や荒川沿いをのんびり散歩したり自転車をこぐ生活を望んでいる。

普通に生活するのが自分にとっては中々難しい

今日はまたどこか山でも見に行こうと思ったけど、体調がいまいちで、車を運転する気力もなかったので、結局行かなかった。

かと言ってずっと家に引きこもってるのも気が塞ぐので、散歩がてら図書館に行って本を借りたり、ドトールに行ってブログを書いたりなど、まぁ休日らしいと言っちゃ休日らしい過ごし方をした。

自分のこの浮き沈みのある体調との向き合い方が難しいと感じる。日によって体調がマチマチだから休日の予定もたてられない。

なんていうか普通に生活するのが自分にとっては中々難しいことなんだとこの歳で感じるようになった。

これはもう体質の問題であって、気力とか精神論じゃない気がする。

じゃあ今後自分はどんな生活を送ればいいかと自問自答してもわからないから困る。

う~ん、どうすればいいものか。