ぽろっぽの日記

人生、読書、健康、つれづれ。ー日々感じたことを言葉と写真で表現したいー

心機一転したところで仕事はついてくる

今日は夜勤明け。

 

相変わらず仕事は捗らなかった。

 

あまりにもやる気がしないので、上司と仕事に関する雑談をしたりして過ごした。

 

仕事の雑談は、上司の貴重な経験の話を聞けたり、技術的な勉強にもなるので、少し気がまぎれる。

 

自分は新しい知識を得るような勉強は嫌いではないんだろうな。ただ仕事の段取りや、社内や他社との連絡調整、そういうものが関わると、途端に気分が重くなる。でもこれは仕事の基本だから、やっぱり仕事が苦手で嫌いなんだろう。

 

気分が憂鬱な日が続いているので、心機一転したい。最近は今いる家から引っ越しをしたい気分に駆られている。

 

心機一転したところで仕事はついてくる。それは意味がないのはわかるけど、それでもなんとか現状の気分を変えたい。

 

資本主義の豊かさではなく、自分の価値基準の豊かさを考える

資本主義は日本で生まれたものではない。

イギリスからの産業革命から生まれ、明治維新の時に日本はそれを否応なく取り入れざるを得なくなった。

ここから日本人は資本主義の病を抱えることになる。

しかもやっかないのは日本人はもともと資本主義を生んだ国ではなかったので、病気に対する何の抗体もないまま取り入れたので、その病が根深い。

 

年間3万人近い自殺者を毎年出し、鬱病も多い。みんなよくわからないままに資本主義の社会に組み込まれ、よくわからず、ギスギスと働いている人がたくさんいる。

 

資本主義を生んだ国の人たちは、資本主義を生み出すという合理的な思考の土台があったわけであって、まだ抗体みたいなものがあるから、日本よりは資本主義の病が軽症で済む。彼らは合理的に行動するから恐らく日本人ほど悩んだりする人はいないのだろう。

 

資本主義はそもそも欲望と競争の社会だ。お金を稼いで、物質的に豊かな生活を送り、それを常に人との競争の中で行われている。

 

ここで問題なのは競争に負けた人たちだ。彼らは賃金が低く、しかも物質的に貧しい生活を余儀なくされる。しかも競争に負けた人たちは自己責任でそうなったと言われてしまう。

 

資本主義という思想では、常に競争に勝たなければならないのであり、競争に勝って豊かな生活を送るという考えが前提にある。

 

果たして資本主義は日本人全員に合っている思想なのだろうか。

明治維新の時に否応なく取り入れたこの思想は日本人にかなり無理をさせてきたのではないか。

 

現代の日本は資本主義だから、このゲームから降りることはできないけど、資本主義とある程度距離を置く生活スタイルを見つけてもいいのではないだろうか。

 

お金を稼いで、物質的に豊かな生活を送る。この考えを少し離れみてもいいんじゃないか。資本主義の敗者になるのではなく、資本主義という思想から少し距離を置く。

 

大原篇理さんのような年収90万円の隠居生活や、元ニートのphaさんは収入は多くないが、それでもゆとりある時間の中で彼らなりに豊かな生活を送っている人もいる。

 

彼らも資本主義の中で生活しているが、彼らは敗者にはなっていない。彼らは資本主義から距離を置いて生活をすることにしたのだ。

 

これからの日本の社会は、そういうことをもっと考えてもいい時期になっていると思う。

 

何が自分にとって豊かなのか。今一度、自分の生活スタイルを見直して、資本主義の豊かさではなく、自分の価値基準での豊かさを考えてみるのが大切だと僕は思う。

 

 

 

 

 

 

 

職場に人が少ないと気が楽になる

今日もなんとか仕事に行けた。僕の職場は土日も出勤する日があるけど、土日は職場の人が少なく、仕事に行くっていう雰囲気が薄れるので、土日の出勤は好きな方だ。人が少ない職場で黙々と作業する方が、変に気を張りつめなくて楽だ。

 

別に職場の人は嫌な人がいるわけではない。むしろ親切な人がほとんどだけど、なぜか人が大勢いるところで仕事すると居心地が悪くなる。昔から学校のクラスでもどことなく居心地に悪さを感じていたが、それが今も変わっていない。

 

明日は夜勤だ。日曜の夜勤は職場にいる人も少ないので、明日も仕事にはそこまで憂鬱にならずに行けそうだ。

 

 

ー読書メモー大原扁理『なるべく働きたくない人のためのお金の話』

大原扁理『なるべく働きたくない人のためのお金の話』を読んだ。

お金がないと幸せになれない。

でもいったい僕らは幸せになるためにどれだけのお金が必要なのだろう。

そもそもお金の必要ない生活をすれば、無理して働く必要もないのではないか。

そもそも自分はどういう生活を望んでいるのだろうか。

そんなことを考えさせてくれる本だった。

 

著者の大原扁理さんはそれをとことん考え実践した結果、年収90万円、週2日労働つまり週休5日という生活スタイルに至った。

 

もちろん、年収90万円だと買うものは限られるし、家賃も2万円台のところなど、普通の人に比べれば、かなり質素な生活になる。

 

それでも著者はその生活に満足している様子だ。

 

彼は以前は世間一般の幸せと言われる生活、もしくは当たり前という生活をしていて、家賃の支払いのためにせっせと働いていた。でもその生活は彼にとっては幸せではなかった。だから改めて自分の生活を振り返り、何が自分にとって幸せか試行錯誤しながら実践した。そこから彼が見えたものは、高い家賃を払って、そのためにあくせく働くのではなく、質素な生活でその代わり週休5日という生活が彼にとって幸せだということだった。

 

彼の凄いところは、世の中に常識に流され、思考を停止することなく、自分の価値基準を試行錯誤しながら作り上げていったことだ。だから、彼は週休5日という隠居生活は彼の試行錯誤の結果であって、初めから隠居生活を志していたわけではない。

 

人はそれぞれ趣味嗜好が異なり、本来なら価値基準も違うはずだ。だから世間の価値基準は、たまたま今の時代の多数の人が持っている価値基準であり、僕やあなたが同じとは限らない。大事なことは自分の心に良く耳を澄ませて、自分の価値基準を見出すことだ。

 

世間の価値基準に沿って生きた方が、みんなと同じという安心があり、つい安住してしまう。しかし、本来の自分はどんどん損なわれているはずだ。

 

僕も世間の価値基準に安住している。そしてどんどん自分が損なわれている感覚がある。そこからなんとかして抜け出したい。だから仕事を辞めたいと思ったり、こうしてブログで少しでも自分の気持ちを吐露しているのだろう。

 

 

 

今の自分に出来ることは何だろう

今日は何とか仕事に行けた。多分、薬が効いているおかげなのだろう。いつもなら長期休み明けの出勤日は、死ぬほどしんどい気分になりながら這うように職場に向かうのだが、今日は比較的気持ちが安定した状態で行くことが出来た。

 

ただ、薬で感情の一部分を麻痺させているのか、あるいは無理に安定させているせいか、なんだか身体に違和感を感じた。

 

このまま無理に仕事しても、後になって不調をきたすことはわかっているので、午後は帰らせてもらうことにした。

 

今の職場はかなり恵まれている方で、こういう突発的な休みを取らせてもらえる。それなのに、自分は今の仕事が嫌でしょうがない。きっと自分はどこの職場に行っても、ダメなんだろうなと感じている。サラリーマンがそもそも向いてないんだと思う。

 

午後は家でひたすらソファーに横になって、本を読んだり、スマホでネットを見て過ごした。

 

スマホで見ていたものは、中古別荘や、次の引っ越し先の賃貸物件、脱サラした人のカフェ開業ブログなど、現実から逃避したいものばかり見ていた。ここ最近スマホを見る時間が多くなった。少しスマホに依存する人の気持ちがわかる気がする。とにかく頭を空っぽにして現実逃避したいんだと思う。

 

でも現実を直視しない限り何も変わらない。今の自分に出来ることは何だろう。

 

 

 

薬で抑えても、身体は正直

今日で夏休みも終わり。

明日からまた嫌な仕事が始まる。

精神科から処方された双極性障害の薬のお陰か、長期休み最後の日に起こる絶望的な気分には、支配されていない。気分の抑鬱を薬で抑えられている感じだ。

でも、夕方あたりから激しい下痢をした。五回ほどトイレに行ってようやく落ち着いた。

薬で気持ちを抑えられても、やっぱり身体は正直で、何かしらの異変の信号を発しようとしてるのだろうか。

明日仕事に行けるのかな。

自分なりの贅沢な時間ー伊香保温泉からー

今日で6日間の夏休みも最終日になる。

相変わらず、気分はあまり良くない。

最終日は伊香保温泉の宿で迎えたが、気分がすごく良くなったわけでもなく、かといってすごく悪くなったわけでもない。

ただ家で過ごしてたら気分はどん底になっていただろうから、今は気分があまり良くない程度で済んでいるから、伊香保温泉に来て正解だったのかもしれない。

現に今、こうしてホテルでブログを書く気力があるのが何よりの証拠だ。

 

今年の3月に双極性障害と診断されてから、自分の心身の状態を観察してみると、健康だった頃と比較すると、色々な変化があることに気付く。

 

まず、何をするにも億劫になる。健康だった時は、趣味の自転車をこいだり、新聞や本をたくさん読んだり、車中泊の旅行をしたりなど、休日の時は自分のやりたいことをやれた。仕事もしんどいとは言いながらもなんとかこなすことが出来た。

 

そういう健康の時に実行できた諸々のことが気持ち的に億劫になり、中々できなくなる。自転車に乗る頻度はすごく減ったし、新聞も読む気がしない。車中泊の旅行も体力的にきついのでやっていない。仕事もいよいよしんどくなり、質の良くない書類作成や業務をするようになり、職場にとりえず出向いて、ところどころ不具合のある機械になったような気分で仕事をしている。

 

今の僕にせいぜいできることは、散歩と興味ある本をパラパラ読むことぐらいだ。

今日も伊香保温泉でホテルの朝風呂に浸かったり、外の景色を眺めながら煙草を吸ってぼーっとしたり、ブログを書いたりしている。

観光する元気もないので、ホテルからチェックアウトしたらそのまま家に帰るつもりだ。

でもこうしてホテルで外の景色を眺めるだけでも中々楽しい。雲や霧の流れを見ているだけで心が休まる。

ホテルで過ごすということは何もしなくてもいいし、またそれが贅沢な時間でもある。

外はあいにくの曇り空だが、小鳥のさえずりが聞こえ、時たま来る時雨がまた風情があっていい。

僕は健康の時だった頃に比べて今は出来ることが少ない。でもホテルでこうして過ごすと、それはそれでいいんじゃないかと思えてくる。今はそういう時期なんだと。

無理してあれこれやろうとするよりも、こうして特に何をすることもなく過ごすのも贅沢な時間だ。

人それぞれ贅沢な時間の過ごし方がある。自分なりに贅沢だと思う時間を過ごせばいい。

要するに僕は夏休みの最終日を伊香保温泉で贅沢に過ごせて良かったのである。

 

伊香保温泉のホテルの窓辺越しの山々を眺めながらこのブログを記すー

 

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ーホテルの窓から雲や霧の流れていくのを眺めるー

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ー昨日の夜の石段街は霧に包まれていたー