ぽろっぽの日記

人生、読書、健康、つれづれ。ー日々感じたことを言葉と写真で表現したいー

ー恋愛なくして虚栄であるー永井荷風『浮沈』の感想について

永井荷風『浮沈』という小説を読んだ。読んだきっかけは図書館に行った時になんとなく目について、パラパラとページをめくったら文章が読みやすそうだったからだ。舞台は戦争が激しくなってくる昭和十年第の東京であり、ひとりの女主人公が運命に翻弄される姿が描かれている。

 

主人公のさだ子は、東京の良家に嫁ぎ円満な夫婦生活を送るが、夫にあっさり病死されてしまい、さだ子の実家の栃木に出戻る形となり、物語はそこから始まる。しかし、さだ子にとって実家は居心地が良いものではなく、買い出し目的で浅草に行った時に、そのままバーで働くことになり、再び実家を出て、東京に住むことになる。

 ここまでの話の間に、さだ子の過去の夫の話や、当時の東京の様子が描かれていたり、藤木と言うさだ子の運命に大きく関わってくる男が現れたりする。

 

読んでみると、正直最初は退屈な話だなぁと思った。なんとなく、話の展開が見えてくるのだ。きっと藤木はさだ子に対して、好意を持っているから、今後強引に結婚に持っていくのかなと思ったら、予想通りそういう展開になったり、前の夫と今の藤木と言う品性がない夫とを比較し、今の夫から自分の身体だけが目的であり、真の愛情のないことを知り、さだ子が自分の境遇に悲しむシーンなども、今まで何かで読んだことのあるような話だし、とどのつまりありきたりな話だなぁと思ってしまった。

 

でも途中で投げ出さず、やっぱり読んでしまう。それは永井荷風がとても読みやすい文章であり、彼は昭和十年代の当時の東京の風俗を細やかに描かれていて、まるでその時代に自分がタイムスリップしたかのような気分にさせてくれるからだ。

 

読んでいる時は自覚しなかったが、この時点でもう僕は彼の小説の世界に実は入り込んでいた。僕は夏目漱石のような思想や新たな人間の視点から描かれていた小説を好むが、永井荷風の『浮沈』はそういうものは入っていない。だからどことなく、物足りなく、話の展開もなんとなく読めてしまうので、退屈だなぁと感じてしまったのだが、彼は文章がうまく、描写がうまい。だから読み始めはありきたりな大衆小説なような印象を受けたが、昭和10年代、徐々に戦局が厳しくなるにつれ、生活物資が手に入らなくなる様子がわかったり、華美な服装をすると周囲から指摘されるようになったりなど、風俗の取り締まりが厳しくなっていく様子が克明に描かれているので、まるで自分が時代を過去に連れて行ってくれる感覚になる。気づけば十分にこの小説に浸っている自分がいた。

 

さだ子は結局、次の夫の藤木に愛想をつかし、藤木から逃げる。その後、友人のつてなどを頼って、いかがわしい都内の待合(芸者と喫茶もしつつ、みだらな行為も行う場所??)やら、怪しげなカフェ(現代で言うオッパブ??)で裏方とういう役割ではあるものの、それらで勤めざるを得ない、みじめな境遇になってしまう。しかも、待合で働いてたきに、さだ子は藤木との離婚調停に協力してくれた40ぐらいの田所という男に、ある一夜に汚されてしまう。

 

ここまで落ちぶれたさだ子は、とにかくどこかに逃げ出したいと思うが、どこにも逃げ場がない。そんな時、かつてさだ子が都内のカフェで働いていた時に越智(オーさん)と呼ばれた常連客と上野駅で邂逅する。オーさんは旧家の30代の男で品がある人で、さだ子はそのオーさんから前々から好意を抱いていた。そしてオーさん自身もさだ子に対して好意を抱いていた。

 

さだ子はオーさんの自宅で数日寝泊まりをさせてもらう。オーさんは旧家であり格式の高い家柄で本来なら、さだ子のような中流階級の女とは不釣り合いであり、周囲はもっと良家の娘と一緒になれと言われる当時の常識的な価値観だ。

 

この物語の終盤が面白いところだと感じたのだが、オーさんは世の中の競争的な社会に嫌気がさし、30代にも関わらず、もう隠居的な生活を望んでいる。本来なら良家の娘と結婚するべきなのだが、その良家の娘もいわゆる社交場での見栄の張り合い、虚栄心を満たそうとする女ばかりで、オーさんは結婚する気が起きない。

そんな時にさだ子を出会い、さだ子はもう不幸を嘗め尽くし、およそ、見栄や虚栄から解脱した人間になっている。謙虚な面持ちでただ自分を愛してくれれば、それでいい。愛してくれればどんな境遇になってもその人と一緒になりたい。

 

オーさんは旧家からこれから世の中を捨て、おそらく贅沢な暮らしはもうできない身分になる。現に今いるオーさんの立派な家を売り払い、これからは安アパートに住もうとしている。それでもさだ子はオーさんについていく。それはさだ子が見栄や虚栄から離れ、謙譲という徳を積んでいて、良家の娘にはないものを持っているからだ。真にお互いが愛し合っている。

 

オーさんは他人を押しのけ合う社会に嫌気がさし、世の中に半分見切りをつけ、やがて自分の家が頽廃していく様と、落ちに落ちたさだ子の境遇が見事に絡み合い調和している。


さだ子の最後の救い手はこのオーさんにより、単に生活上の見かけの救いだけでなく、彼女の精神世界の救いとなり、それがまたオーさんの思想の具現化にもなっている。このラストのシーンは単なるハッピーエンドではなく、幸福と哀しみ、頽廃を交え、しかも当時の社会に深いメッセージを交えている。気づいたら僕は最後のこの小説のオチはどっぷりと浸かってしまっていた。


最後にこの小説の一節を抜粋して、感想をこの物語の感想を終えたい。


ー私の観るところ現代のわかき人達は過去の人々の如くに恋愛を要求していない。恋愛を重視していない。彼等がいくるために是非にも必要となすものは優越凌駕の観念である。強者たらむとする欲求である。これは男子のみではない。女子の要求するところもまた同じく、恋愛なくして虚栄である。ー