ブログや日記に書く行為は、心や脳のラジオ体操
相変わらず気分の浮き沈みがあってしんどい。今日は調子が良いなぁと思っていたら、次の日は悪くなっていたりする。傾向として夜勤明けは気分が良く、次の日の休みはたいてい死んでいる。きっと夜勤明けの時は、仕事していた最中にアドレナリンやらドーパミンがドバドバ出ているので、その余韻で気分が良くなっているのだろう。逆に休みの日はその反動が来て、何もできなくなる日が多々ある。いかにこの気分の激しい起伏を抑えるかが今の自分の悩みの種であるが、中々その解決策を見出さずにいる。
休みの日に気分が悪くなり、どん底の状態の時に、ブログや手帳に、心にある何かモヤっとしているもの、ふと浮かんだものを走り書きすることがある。家にいてジーっとしていても一向に気分が晴れないときは何かに急き立てれるように家を飛び出し、近くの喫茶店に行ったり、あるいは自宅から一時間かけて東京の純喫茶に行き、とにかく書きまくる。そうすると淀んでいた心に新鮮な空気が入って、スッと気持ちが楽になる。
毎回、休みの日に気分が悪くなるたびに喫茶店まで行くことは難しいにしても、日記や手帳にとにかく思うことをバーっと走り書きすることは今の自分にとって良いことかもしれない。
phaさんの著書『ゆるくても続く 知の整理術』では
―言語化するというのは、「アナログで連続的な世界を言葉でデジタル化する」と言い換えることもできる。―
と述べている。どういうことかと言うと、phaさんは以下のように述べている。
―言語を割り当てられる前の世界というのは、不定形で曖昧で複雑すぎるものだけど、世界のいろんなものに概念を当てはめて言語化していくことで、人間は世界を取り扱うことが出来るようになるのだ。―
自分の心の中で何かモヤモヤするものがある。それは言語化される前のアナログの状態で、姿、形が存在せず、不定形で曖昧で複雑なものだ。自分の気分の悪い時、苦しい時を観察すると、モヤモヤに対する解決策がなくて苦しんでいるという以前に、モヤモヤそのものが言語化できていない、つまりデジタル化できておらず、自分のモヤモヤに概念が当てはめられず、いつまでも掴みどころがないから苦しんでいる。だからこそアナログからデジタルに変換することによって、このモヤモヤの自分の手で掴めるよう概念化してしまえば、モヤモヤの解決策は見いだせずとも、モヤモヤの正体はハッキリさせることができるので、半分解決したも同然になる。だから日記やブログに「書く」という行為は言語化、デジタル化そのものであるから、気持ちがスッと軽くなるのだろう。
今までの自分の行動を振り返ると、仕事の後にぐったりするのは仕事そのもののストレスもあるが、このモヤモヤの正体を掴めていないことも大いに関係がありそうな気がする。だから書くという行為でデジタル化してモヤモヤの正体を掴む習慣をつけるようにすれば少しは改善されるのかもしれない。
僕はほぼ毎朝、ラジオ体操して身体をほぐしている。それと同じように心や脳のラジオ体操として日記やブログに気張ることなく、思うままに「書く」という行為をすると良い結果になるかもしれない。
ーこんな場所で日記やブログを書ければいいが、残念ながら家の近所にはないー
ーゆるい感じで思考が整理されていく内容だったので、おすすめです。ー