ぽろっぽの日記

人生、読書、健康、つれづれ。ー日々感じたことを言葉と写真で表現したいー

寛ぎと安らぎの純喫茶

精神的に行き詰った時、純喫茶にふらっと行くと、いつも何かしらの解決策が浮かび上がってくる

 

行き詰っている時ほど、立ち止まってはいけないような気がして、何かをしていなきゃいけない気持ちになる

 

でも、昔ながらの喫茶点にある、豪奢な椅子に腰かけて、美味しい珈琲を飲むと、自分は休息を求めていたことが分かる

 

なぜか僕はいつも行き詰った時に純喫茶に行くと、心が落ち着く

 

もしかしたら、純喫茶そのものが僕の求めている環境そのものかもしれない

そこでは時代が止まり、効率化、スタバのようなシンプルでモダンな雰囲気はない

でもそんな場所だからこそ、僕は思いっきり寛げる

時代に合わせる必要なく、生産性、効率化に追われることもない

喫煙席、分煙席の仕切りもあいまいであり、厳格な管理下に置かれていない

全てがゆっくりと曖昧である

 

だから僕自身も心行くまでくつろぐことができる

心行くまで落ち着いて自分を内省して思索に耽ることができる

 

身体が精神に追い付かない

仕事が忙しくなるといつも体調を崩す

昔からそうだ

思い返せば小学生の頃からそんな傾向があった気がする

小学生の時も一度風邪をひくと、なかなか治らず、

1週間、酷い時は2週間近く休んでいた。

それは中学、高校も同じだった。

浪人時代の時も結局、身体が追い付かなくて、最後は寝込んでいた。

大学時代はサークルの合宿のあと、必ずものすごい筋肉痛になって2週間ぐらい動けなかった。

身体が精神に追いてない

いつもそんな感じだ。

日曜日から今日(火曜日)まで3連休だけど、結局何もできなかった。

仕事の疲れのせいか、体調が悪くなって、ほとんど家で過ごしていた。

気持ち的には色々やりたいと思っていたんだけど。

とりあえず、そこはもうしょうがないと受け入れて、休むのに専念した。

そのお陰か、休み最終日にくるあの「俺、休みに何やってたんだろ」

というどうしようもない絶望感はない。

でも、やっぱりまだ自分に納得いってないんだろうな。

日曜日の休み初日は身体が悪くても、気持ち的に何かをしようという気持ちが強かった。

月曜日もそんな感じだった。

もっと、自分の現状を受け入れて、休むのに専念すれば3日間も休み必要もなかったのかな。

焦っている自分がいるのかもしれない。

もう少し、ゆっくり深呼吸して自分の身体や心の声に耳を傾けるように意識してみよう。

 

 

 

 

家で休む、外で休む 休み方は色々

行き詰った週末はどう過ごすか

就職してから僕はこの難問に苦しめられてきた

でも、今はだいぶ対策がとれるようになった

 

結局のところ身体なり精神が悪くなるということは、それだけ疲れているということであって、それを否定したところでどうにもならない

 

以前の自分は週末の貴重な休みに疲れて何もできない自分に腹を立てたり、嫌気がさしていた

 

でも、それはしょうがないことなんだ

だって疲れているものは疲れているわけであり、身体は正常な状態に戻そうとするからこそ、身体を何もできない状態にさせて休ませるわけだ

 

だから、調子が悪くなったらまずはありのままの現状を受け入れることにした。

寝たくなれば寝ればいい

動きたくなったら動けばいい

 

~しなければいけない

ではなく

~したいからする

に自分の行動原理をシフトさせた

 

そうすることで週末寝ていても自己嫌悪から解放され、余計なエネルギーを使わないで済む。

 

人間不思議なものである程度休めば自然と身体を動かしたくなるものだ。

現に僕は今日のお昼までひたすら布団やらソファでゴロゴロしていた。

だけど、自己嫌悪にのまれることなく、それをある程度受け入れ(100%受け入れらるてるわけではない)、回復するのを待っていた。

そしてある程度ゴロゴロしていたら、外に出たくなって、池袋まで行った

池袋の喫茶店でダラダラすごしていたら、また疲れてきて家に帰りたくなったので、そのまま帰った。結局池袋には喫茶店に1時間しかいなかったけど、それもまぁしょうがないなと思った。今は調子が悪いわけだし。

それでまた家で横になってたら、また外に出たくなった。

そして今は家の近所の喫茶店にいる。

こんな具合で今日は休んだり、出掛けたり、を繰り返した1日となってる。

出掛けるといっても、結局喫茶店でダラダラしてるだけだから、これも休んでいるうちにはいるかもしれない。

なんていうのかな。

休むにも家で休みたいときと、喫茶店とかで外で休みたいときの2通りのパターンがあるらしい。

ちょっと大げさな言い方になるかもしれないけど、人生に疲れてふらっと旅に出るみたいな。

そんな感じに似ているかもしれない。

家で休んでも休めない

そんな時は外で休む

そういう休み方もある

行き詰った週末の中で

おとといに下痢をして以来、胃腸、精神の状態が芳しくない。

週末になるとこのパターンが多い。

平日は頑張って仕事して、さぁ休みだという時にきまって腹を下す。

腹を下さなくても、休みになったとたん、気分が憂鬱になり、

あれだけ休日は何しようかと想いを巡らせてたのに、見事に憔悴してしまい、

何もしたくなくなる。

そしてそんな自分に自己嫌悪してさらに何もできなくなる。

就職してからこのパターンだ。

転職して今の仕事はだいぶストレスが減ったせいか、その頻度は減ったが、

それでも仕事が少し忙しくなったりすると、ぶり返す。

困ったものだ。

ストレスを回避する

ストレスを溜めても発散する

自分はこれが苦手なのかなと思う。

なんていうか、このまま働き続けると自分という人間がどんどんすり減っていくようでもあり、怖くなる。

恐らく、ストレスを回避するに思考方法の転換なり、余計なことを考えないようにすることが大事なんだと思う。

でも余計なことを考えなくするという事は心を閉ざすことでもある気がする。

僕はダラダラととりとめもなく考えたり、考えなかったりする時間が好きだ。

喫茶店でぼーっとしたり、本読んだり、読まなかったり

根本的に働くことが駄目なのかもしれない

でもこうやって書いてて感じたことは、自分の軸がまだ定まっていない事だと思う。

自分は何で身を立てるのか。

そうしたものが見つかっていないからだと思う。

見つかっていない

これは自分に対する甘えなのかもしれない

いつまでもいつまでも「見つかっていない」

と言って決断することに対して怯えている。

でもほんとにわからない。

わかならい、わからないといってるうちにもう30歳になってしまっている。

 

 

 

 

 

 

 

仕事って何だろうね

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仕事って何だろう

 

食うため

自己実現のため

成長のため

 

人によって色々理由があるけど、

一番は食うため、生活のためだと思う

 

ある人は仕事は自分の成長のためと言う。

でも成長だけを目指すなら別に働かなくてもいいんじゃないかなと思う

ボランティアでもいいし、趣味も極めれば成長できる気がする。

結局のところ、仕事で成長することによって、お金をもらえて、さらにスキルを身につけられる。

それによって社会的なステータスを得られるし、自己承認できるから、みんな仕事で成長を目指すんじゃないかな。

 

仕事で成長できるって一見素晴らしいことのように思える。

でもこれって仕事に対してものすごく要求が高い気もする

だってただでさえお金を得ることをは大変なのに、その上成長まで求めるんだから。

仕事はたしかに人生のうちで占める割合は大きい。

でも1/3程度

人生という枠組みでみた場合、別に仕事が全てではない。

ましてや仕事は他人の要求にこたえて初めてお金に代わるものだから、

自己表現できることは一部の人を除いてかなり限られる。

 

僕は仕事に対してそこまで求めなくもいいと思っている。

お金を貰うからには仕事に対して真面目であることは必要だけど、

無理して成長する必要もないし、

辞めたくなったら辞めてもいいと思う。

だって生活のために仕事してるんだ。

生活のために仕事してるのに、仕事で身体を壊して生活できなくなったら

本末転倒だ。

僕は生活のために転職をして、

自己表現はこうしてブログ書いたり、家族と過ごす時間や趣味など仕事以外の時間で十分できている。

不思議なことに、生活のために仕事をすることによって、生活をより一層充実させるために仕事にも自然と真面目に取り組めるようになった。

 

人は人

自分は自分

別に世の中の価値観に全部合わせる必要はないんじゃないかな。

人生という広い視野で見たときに自分の仕事はどんな位置づけなんだとうと

冷静に考えてみることが必要だと思う。

そういう風に考えられるようになってから仕事に対してずいぶん自然体の自分でいられるようになった。

 

結局のところ、仕事も人生も答えはなく、自分で探すしかないんじゃないかな。

 

成長という魔法の言葉

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成長したい

でもほんとは違うの

別に仕事で成長しなくてもいい

人から認められたいだけなの

でも正直には言えない

自分が小さくて嫌な人に見られるから

だからわたしは成長するの

成長は嫌いなわたしを隠してくれる魔法の言葉