ぽろっぽの日記

人生、読書、健康、つれづれ。ー日々感じたことを言葉と写真で表現したいー

はてなブログのアクセス解析が気になってしまうけど、譲れないもの。

はてなブログアクセス解析が気になってしまう。

そんな毎日更新してるわけでもないけど、ついつい見てしまう。

エゴサーチと同じ事なんだろうな。

これってほんと何の生産性もないけど、ついやっちゃう。

自分のことが周囲から注目されたい気持ちがあるから見るんだよね。

もしかしたら、今日はすごいアクセス数かも

そんな期待をしてしまっている自分がいる。

でも、そもそもはてなブログで公開してる時点で注目されたいってことだよな。

自己完結でやるなら公開しなければいい話だし。

 

自分の気持ちをブログに公開することによって共感して欲しい

誰かにこの気持ちを理解してもらいたい

そんな気持ちがあるからこそ僕はブログを公開している

もちろん注目もされたい

 

アクセス数は気にしてしまうけど、僕の中で心掛けていることがある。

それはプライドに近いものかもしれない

媚びない文章を書くことだ。

 

あくまで、自分の気持ちが先にある

 

こうしたらアクセス数が増える

こうしたらみんなが喜ぶ

他者中心のブログにはしない

それだけは譲れない

 

 

自己嫌悪に頼らなくていいんだよ

どうも先週の土曜日にお腹を壊してから調子が悪い

心身ともに疲れている感じだ

眠りも浅いし、動悸もしたりすることもある

自律神経が乱れているのか

でも、不調なりにやっている

昔は不調の自分が嫌で自己嫌悪に陥ってたけど、

自己嫌悪ほど不毛なものはない

不毛というより罪に近いかもしれない

負のエネルギーをそのまま自分に向けて、

ひたすら自分を痛めつけて慰める行為

人間不思議なもので、自分という人間を責めることによって

なんとか自分は良い人間だということを言って聞かせる

自分を責めているから自分はまだマシなんだ

自分を責めることによって自分は救われる

自己嫌悪の背景には自分に対する救いと、自分へのプライドが見え隠れする

でもこの行為は心身ともに疲れさせる麻薬に近いものだと感じる

自己嫌悪は手っ取り早く自分を救われようとする行為であり、麻薬のように中毒性があり、確実に自分の心身を蝕む

僕は安易に自己嫌悪にはならないようにしてる

冷静に自分の心身の状態を観察するにとどめるように意識している

そして今、自分の出来る限りのことをするようにしている

何もできなくても嵐が過ぎ去るのを待つようにじっとする

自己嫌悪に頼らなくってから不調なりに随分改善された

今ではブログが書ける余力がでてきた

今は不調でもまた良くなる時がある

今はとにかく過ぎ去るのを焦らず待とう

 

心を落ち着けることで、自分の求めていることが浮かび上がってくる

自分が今、何を求めているかを知るにはどうしたらいいか。

まずは心を落ち着かせることが必要だと最近になってつくづく感じている。

心の休息と言ってもいいかもしれない。

先週土曜日あたりから体調を崩し、僕は焦っていた。

日曜日から3連休であり、せっかくの3連休をぼうにふりそうだと思ったからだ。

だから多少無理をしてでも、近場でもいいから旅行しよう考えていた。

家にいるより、あるいは身近な場所にいるより、その方が気が紛れそうだと思った。

でも結局旅行はしなかった。

気付いたら家から1時間弱で行ける池袋の喫茶店にいた。

僕は休息を求めていた。

喫茶店に入った時にそれが初めて分かった。

心を落ち着かせたかった。

そして心を落ち着かせることで自分が何を求めているかがわかった。

今は休みたいだということを。

今は休んで、気が向いたら本を読んだり、運動したり、ブログを書きたい

そんなとりとめもない休日を過ごしたかったんだ

~しなきゃいけいない

そんな気持ちに追われていたんだな

気持ちにゆとりがなくなると自然と自分を追い込むようになる

そんな時は敢えて休もう

そうすると本当は自分が何をしたいか見えてくる

見えてくるという言葉は適当ではないかもしれない

 

浮かび上がってくる

 

自分の求めていることを浮かび上がってくる手助けをするために

心を落ち着けることは大切なんだと思う。

 

寛ぎと安らぎの純喫茶

精神的に行き詰った時、純喫茶にふらっと行くと、いつも何かしらの解決策が浮かび上がってくる

 

行き詰っている時ほど、立ち止まってはいけないような気がして、何かをしていなきゃいけない気持ちになる

 

でも、昔ながらの喫茶点にある、豪奢な椅子に腰かけて、美味しい珈琲を飲むと、自分は休息を求めていたことが分かる

 

なぜか僕はいつも行き詰った時に純喫茶に行くと、心が落ち着く

 

もしかしたら、純喫茶そのものが僕の求めている環境そのものかもしれない

そこでは時代が止まり、効率化、スタバのようなシンプルでモダンな雰囲気はない

でもそんな場所だからこそ、僕は思いっきり寛げる

時代に合わせる必要なく、生産性、効率化に追われることもない

喫煙席、分煙席の仕切りもあいまいであり、厳格な管理下に置かれていない

全てがゆっくりと曖昧である

 

だから僕自身も心行くまでくつろぐことができる

心行くまで落ち着いて自分を内省して思索に耽ることができる

 

身体が精神に追い付かない

仕事が忙しくなるといつも体調を崩す

昔からそうだ

思い返せば小学生の頃からそんな傾向があった気がする

小学生の時も一度風邪をひくと、なかなか治らず、

1週間、酷い時は2週間近く休んでいた。

それは中学、高校も同じだった。

浪人時代の時も結局、身体が追い付かなくて、最後は寝込んでいた。

大学時代はサークルの合宿のあと、必ずものすごい筋肉痛になって2週間ぐらい動けなかった。

身体が精神に追いてない

いつもそんな感じだ。

日曜日から今日(火曜日)まで3連休だけど、結局何もできなかった。

仕事の疲れのせいか、体調が悪くなって、ほとんど家で過ごしていた。

気持ち的には色々やりたいと思っていたんだけど。

とりあえず、そこはもうしょうがないと受け入れて、休むのに専念した。

そのお陰か、休み最終日にくるあの「俺、休みに何やってたんだろ」

というどうしようもない絶望感はない。

でも、やっぱりまだ自分に納得いってないんだろうな。

日曜日の休み初日は身体が悪くても、気持ち的に何かをしようという気持ちが強かった。

月曜日もそんな感じだった。

もっと、自分の現状を受け入れて、休むのに専念すれば3日間も休み必要もなかったのかな。

焦っている自分がいるのかもしれない。

もう少し、ゆっくり深呼吸して自分の身体や心の声に耳を傾けるように意識してみよう。

 

 

 

 

良いものは良いと言える人になりたい

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口コミで評価が高いから

この人が良いと言ったから

みんなが良いと言ってるから

そうじゃなくて

 

自分が良いと感じるから良い

 

そう言える人になりたい

 

自分らしさとはそういうものじゃないかな

 

家で休む、外で休む 休み方は色々

行き詰った週末はどう過ごすか

就職してから僕はこの難問に苦しめられてきた

でも、今はだいぶ対策がとれるようになった

 

結局のところ身体なり精神が悪くなるということは、それだけ疲れているということであって、それを否定したところでどうにもならない

 

以前の自分は週末の貴重な休みに疲れて何もできない自分に腹を立てたり、嫌気がさしていた

 

でも、それはしょうがないことなんだ

だって疲れているものは疲れているわけであり、身体は正常な状態に戻そうとするからこそ、身体を何もできない状態にさせて休ませるわけだ

 

だから、調子が悪くなったらまずはありのままの現状を受け入れることにした。

寝たくなれば寝ればいい

動きたくなったら動けばいい

 

~しなければいけない

ではなく

~したいからする

に自分の行動原理をシフトさせた

 

そうすることで週末寝ていても自己嫌悪から解放され、余計なエネルギーを使わないで済む。

 

人間不思議なものである程度休めば自然と身体を動かしたくなるものだ。

現に僕は今日のお昼までひたすら布団やらソファでゴロゴロしていた。

だけど、自己嫌悪にのまれることなく、それをある程度受け入れ(100%受け入れらるてるわけではない)、回復するのを待っていた。

そしてある程度ゴロゴロしていたら、外に出たくなって、池袋まで行った

池袋の喫茶店でダラダラすごしていたら、また疲れてきて家に帰りたくなったので、そのまま帰った。結局池袋には喫茶店に1時間しかいなかったけど、それもまぁしょうがないなと思った。今は調子が悪いわけだし。

それでまた家で横になってたら、また外に出たくなった。

そして今は家の近所の喫茶店にいる。

こんな具合で今日は休んだり、出掛けたり、を繰り返した1日となってる。

出掛けるといっても、結局喫茶店でダラダラしてるだけだから、これも休んでいるうちにはいるかもしれない。

なんていうのかな。

休むにも家で休みたいときと、喫茶店とかで外で休みたいときの2通りのパターンがあるらしい。

ちょっと大げさな言い方になるかもしれないけど、人生に疲れてふらっと旅に出るみたいな。

そんな感じに似ているかもしれない。

家で休んでも休めない

そんな時は外で休む

そういう休み方もある