やりたいことがわからない時は色々経験し、その時に起こった感情に耳を澄ます。

こんばんは、ぽろっぽです。最近、11月でも暖かい日が続きましたが、今日は一気に冷えてきましたね。こんなにも気候の変化が激しいと風邪をひいてしまいそうですね。暖かい恰好をして、いよいよくる冬に備えたいと思うこの頃です。

 

さて、今日のエントリは「やりたいこと」についてです。みなさんはやりたいこと、将来の夢、目標がありますか。やりたいこと、夢、目標がある人ってかっこよく、キラキラしている感じがしますよね。一度きりの人生ですから、やりたいことがあって、それに向かって日々生活してみたいと思うときがあります。しかし、僕は今現在、人生でこれを成し遂げたいという大きな目標はありません。特に夢もありません。かといって、特にまったく目標がないわけでもありません。なんとなくぼやーっとしたものですが、目標みたいなものが出来つつある状態といったところでしょうか。今はそのぼやーっとしたものをより明確にしていく段階にあるといったところです。

 

やりたいことがない、夢がない、目標がない、そんな自分に嫌気をさしている、あるいはなんとしてでも、やりたいこと、夢、目標を見つけたいと思っている方がこのブログの読者さんにいるかと思います。そんな方に今日のエントリでは、ちょっとしたヒントを与えられるかもしれません。

 

僕自身、まだ明確な夢や目標を持っていませんので、説得力はないかもしれません。しかし僕は、夢や目標が全くない段階から、ぼやーっとしたものではあるが夢や目標の輪郭が少し出てきた段階になりました。これは僕にとっては大きな飛躍でした。以前はコンパスも地図もない状態でした。真っ暗闇の中にポツンと立っているような感覚でした。それが最近になり、ようやく、コンパスと地図を得られ、自分がどの位置に立っているかを知ることができました。そして、自分がどの方角を目指したいかわかるようになりました。今日はその経緯をお話ししたいと思います。

 

僕は今から約10年前に大学に進学しました。大学では機械工学を専攻しましたが、物理が得意でなんとなく車が好きだからという理由程度でした。そして特に先のことを考えないままサークルやアルバイトに没頭しつつも、それなりに充実した学生生活を送っていました。しかし、3年生になり、就職のことを周囲が意識し始める時に、自分はいったい何をやりたいのだろうと考えた時に、何もイメージが出来ませんでした。今、考えてみれば、社会に触れる機会はアルバイト程度ですから、イメージできなくて、当たり前と言えば当たり前なんですけどね・・・・

 

しかし、なんとなく就職するのもどうかと思いました。ただ、なんとなく働いて、適度に趣味をしたり、家庭を作って、なんとなく人生を終える。そんな人生は嫌だと思いました。かといって、大学の勉強内容にも興味は持てませんでした。考えた結果、僕は留年することにしました。留年してじっくり考えよう。そのようにして僕は留年しました。留年して、僕はアルバイトをしたり、趣味の自転車をこいだり、読書などしました。特に読書に多くの時間を割きました。今まで僕は本を読む習慣がなかったので、視野が狭いと思い、この機会に本を読もうとしました。読んだ本はゲーテ、ヘルマンヘッセ、モームドストエフスキーなど、名作と言われるものを中心に読みました。

 

今だからわかることなんですが、僕は哲学的なものに興味があるみたいで、人間、人生、世界の成り立ちに関することが書かれているものを好んで読んでいました。だから名作に惹かれたのだと思います。今まで読書する習慣がなかったので、名作に書かれている内容は目から鱗でした。名作に触れることで、自分と向き合い、考える力を養うことができました。しかし、同時にこれが落とし穴だったと思います。

 

名作を読んだからと言って、すぐに自分のやりたいことがわかるようにはなりませんでした。やりたいことがわかるようになるには、経験が必要なのです。食べ物の好みは人から教わるものでもないし、考えてわかるものでもありません。実際に、食べるという経験をしないとわかりません。ある程度、色々な食べ物を食べるという経験をして初めて、自分の過去の経験から、食べたことのないものでも好き嫌いの予測がつきます。例えばナスが嫌いなら、ナスの味噌汁を食べたことがなくても、たぶん嫌いだなという予測はつきます。当時の僕には経験が圧倒的に不足していました。予測する際に必要な過去の経験すらもありませんでした。

 

そんなこんなで僕はただ、本の中で、考えたり、疑似体験的なものをしてきたので、留年しても、やりたいことはわかりませんでした。そして僕は大学5年かけて卒業し、とりあえず就職の道を選びました。

 

就職してから僕は一生懸命になって仕事をやろうと決めました。働き始めて2年ぐらいたつと、上司からもそこそこ評価され、希望の部署に就くこともでき、まずまずの感じでした。しかし、なんとなくこの生活に納得していない感覚もありました。

 

考えた結果、これが自分の望んだ生活ではないということでした。たしかにこのまま一生懸命やれば、上司からさらに評価され、出世する道にも行けるかもしれない。評価され、仕事の能力をより向上させることが出来るかもしれない。しかし、転勤や長時間労働が加わることは避けられない。会社中心の生活になる。そもそも自分のやっていることは本当に心底自分が望んでいるものなのか、社会にとって意味があるのか。もっと自分のため、社会のためになることがあるんじゃないのか、そんな風に考えるようになりました。

 

このように就職という経験を通して僕は自分のやりたいことが少しわかるようになりました。

これは好き、これは嫌い、これはおかしい

経験を通じて、その時に起きた自分の感情に耳を澄ますことで、自分の求めているものがわかるようになりました。だから、僕は自分の求めていることが少しわかった時点で転職をする決意をしました。自分自身が納得していない環境でダラダラと過ごしていても時間の無駄だと思ったからです。より自分の求めていることを明確にできる環境にシフトすることが必要だと考えました。

 

僕が今現在求めているもの、それは適度に働きつつ、妻との時間を大切にし、趣味、読書、日本や世界の出来事に関心を持ち、自分の意見を持つことができるようにすることです。こんなことを自分が求めていたなんて、大学時代は全く想像できませんでした。学生の頃は、授業、研究、サークル、バイトなどの経験だけでしたが、卒業してから就職という経験がきっかけで、自分以外にも、会社や社会のことに対して、関心を持ち、自分なりの感情を持つようになったことが大きな理由だと思います。

 

僕は留年をし、その時は読書の習慣が身に付いた程度で、特に変わった経験はしませんでしたが、就職してからも読書は続き、世の中の色々なことを知り、考えたいと思うようになりました。考えてみれば学生生活に人間、人生、世界の成り立ちを読書を通じて少しでも知ることができ、それが就職してからよりリアルに体験できたことにより、留年の時の読書が今になって生きてきたとも言えるかもしれません。そういった意味では大学時代の留年も無駄ではなかったといえます。ある意味、読書自体も立派な経験だったのだと思います。

 

今も僕はやりたいことは明確にわかってはいません。しかし、輪郭、方向性みたいなものはわかってきました。そして、わからないときはグルグル悩むのではなく、経験することが大切だということに気づきました。僕の場合は就職がきっかけで、自分のやりたいことのヒントを得られましたが、別に就職でなくてもいいと思います。アルバイト、旅行、ボランティア、企業など、自分の好き嫌いがわかる経験は色々あると思います。大事なことは色々経験して、そこから得られた自分の感情に素直に耳を傾けることではないでしょうか。周りの人の意見や、社会の風潮に耳を傾けることも大事ですが、本当にあなたが求めていることは、あなた自身の心の声が知っています。これから先、僕自身どうなっていくかわかりませんが、自分を信じて、色々経験し、その都度自分の感情に耳を澄まして行動し、やりたいことを明確にしたいと思います。要点を得ず、長文となってしまいましたが、少しでも僕の経験がお役に立てればと思います。