真の「自分らしさ」とは

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人生について深く考えると身動きがとれなくなる。

 

だから考えないようにする。

 

深く考えてもそれに耐えうる人間になろうとしない。

 

金にならない。

 

人から認められるわけでもない。

 

早い話、自分にとって特にならない。

 

でも僕は思う。

 

人間の「味」「コク」みたいなものは深く考えることによって出てくるものだと。

 

真の自分らしさというものはそのような「味」「コク」のことではないか。

 

人から称賛、認められるものだけが自分らしさではない。

今年の目標

とにかくたく本を読んで、たくさん書く。

変に自分はこういう本を読んで、こういうことを書いてますと型にはめない。

気ままに読んで気ままに書く。

今の僕に必要なものは好奇心のままに多くのことをやってみることだ。

僕は僕自身であるなら僕の勉強をすればいい。

それだけなんだよ。

人生において僕は悲観、楽観を含めた寛容さを求める

自分の人生が不幸であることを悟る

 

そしてそれに相応しい人生を送る

 

ひどく悲観的な価値観かもしれない

 

でも不幸である人に

 

人生なんとでもなる

 

人生は自分で切り拓くもの

 

こんな楽観的な価値観を一方的に押し付けるのは違和感がある

 

そこには不寛容さを感じる

 

人生において僕は悲観、楽観を含めた寛容さを求める

心を静めるには意識を腹の中に向けると良い

近頃気付いたこと

 

心を静めるには意識を腹の中に向けると良い

 

腹の中に意識を向けると、考えてるようで自分は何も考えてなく、何も感じていないことに気づく

 

逆に頭の中に向けると、余計にあれやこれやと考えてますます穏やかでなくなる

なんだかんだ良い一年だった

なんだかんだ今年もそれなりに良かった一年だったのかな。

正直、仕事で向上した実感はない。

いわゆる社会的価値観から見ると僕はこの一年変わっていない。

向上もしていないのかもしれない。

それでも僕はどんな写真を撮りたいのか、どんなことを書きたいのか、どんな風に生きていきたいのか

ほんの少しずつ、ほんの少しずつだけどわかってきた。

きっとこのほんの少しずつが僕にとってそれなりに良かった一年にしてくれた。

思いを言葉にする。気がついたら言葉にしていた。

僕は二年前よりはるかに言葉にする力をつけた。

これが今年一番にできることになったこと。

来年は何ができるようになるのだろう。

あるいはできなくなることも出てくるかもしれない。

それでも何かしらの発見があると思う。

発見を楽しみにして来年を迎えよう。

それでは良い年を

怖くなるとね

怖くなるとね

 

動くことをやめてひたすら考えるようになるんだよ


あるいはね


考えることをやめてひたすら動くようになるんだよ


動くときは動いて


考える時は考える


そんな風になりたいなぁ

まずはやってみよう

あれやこれやと考えずに


まずはやってみよう


動いてみよう


恥ずかしいことをやってみよう


僕に足りないものは機動力だ


自分を良く見せたいから


傷つきたくないから


良いものだけを見せようとする


ときにはカッコつけることも必要

でもカッコ悪いところを見せるのも同じぐらい必要なんじゃないかな


まずはやってみよう