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ぽろっぽの日記

-想いを言葉と写真で-

『貧しき人びと』を読んで、ドストエフスキーは心根の優しい人ということがわかった。

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ドストエフスキーの『貧しき人びと』を読んだ。

ドストエフスキー

この名前を聞くと真っ先に思い浮かぶのは

文豪

という文字だろう。

あまりにも有名であり

著名人が推薦する本であるがゆえに

これほど庶民が読む本と無縁のような印象がある。

 

しかし『この貧しき人びと』はまさに

庶民を対象にした本であり、彼が切実に庶民に寄り添って

世間を見ていたかがひしひしと伝わってきた。

ドストエフスキー=文豪

という定義から

ドストエフスキー=心底心の根の優しい人

というイメージに変えてくれた本だった。

この本は難しい表現はなく、非常に読みやすい

 

経済至上主義の現代においては、

まず仕事が出来る人、能力がある人

に価値が置かれる。

そうであるなら、

心の優しい、善良で不器用な人々は

どうすれば良いのか。

果たしてこの世に生きる価値はあるのか。

どうやって自分の価値を自負しなければならないのか。

 

このような問いに対して真剣に、

本当に真剣にドストエフスキーはそのような人々に

寄り添って考えていてくれたことがこの本で伝わってきた。

 

 

読んだ後、自分の心の中で様々な化学変化が起きているのが分かる。

まだそれをうまく言葉にできない。

ただ、言えることは

この本を読んだことにより、僕の心は前よりも磨かれ

人として一歩前進んだ実感があるということだ。

こんな体験をさせてくれる本に出合えてよかった。

 

 

 

スーパーの帰り道で

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スーパーに行くときにいつも通ってる道だけど

今日はいつもと違う道のように感じた

季節と時間で道は変わるんだ

果たして僕はスマホを見て有意義な時間を過ごしたのだろうか

何もしない時間を過ごす

簡単なようで案外出来ない

何もしない時間を過ごした自分がひどく惨めに感じてしまう

だから僕はつい何かをやろうとしてしまう

ツイッターをみたり

ネットニュースをみたり

音楽を聴いたり

ブログをチェックしたり

要はスマホを手放せない

でも冷静になって振り返ってみる

果たして僕はスマホを見て有意義な時間を過ごしたのだろうか

ほとんどは時間潰しで何も残っていないのが事実だ

むしろ何もしていなくてぼーっとする時間の方が気分がすっきりすることがある

 

この前、新聞の記事で書かれていたが

ぼーっとする時間は脳にとって大切らしい

睡眠の時と同じで思考が整理されるみたいだ

ぼーっとすることで今まで気付かなかった新しい発見もある

この前電車でぼーっとしていたら

「あっ、こんな所にこんなお店があったんだ」

「あっ、そうだ、今度こんなことしてみよう」

などわくわくする自分がいた

これも脳がリラックスしていたからかもしれない

 

あるいはスマホを見るぐらいなら本を読んだ方が全然有意義なことが結構ある

スマホをギャンブル、酒のように依存させて、

あたかも熱中しているような錯覚にさせるけど、

そのあとの疲労感、虚無感が半端ない

対して本はそういうことはない

あくまで主体的であって、その充実感はスマホより断然ある

 

スマホは麻薬みたいなものだと最近つくづく感じる

一旦手に取ってしまうと、中々止められない

しかもスマホに熱中させられてしまうと、その後無気力になってしまい

読書する気力もなくなってしまう

 

スマホとは距離を置こう

スマホをいじるんだったらボーっとしよう

あるいは本を読もう

その方が自分にとって有意義になりそうだ

 

 

 

都内に向かう電車が好きだ

電車に乗って都内にでるのは僕の楽しみでもある

普段は自転車で田舎道を走って通勤している

休日は何かいつもと違う場所に連れて行ってもらいたい

そんな気持ちから僕はあえて人混みの都内に向かいたくなる

地方勤務を経験したからこそわかったこと

普段、自転車通勤しかしないからこそ求めること

どこか非現実な場所に連れて行ってもらう

何かがありそうな予感

電車の中で聞くあの独特な音と、雰囲気

毎日は嫌になるけど、たまの休日に乗ると楽しくなる

埼玉からだんだんと東京に近くなり

高層ビルや派手なネオンをつけた建物をみると

不思議と落ち着き、希望が湧いてくる

人って不思議ですね

都内に向かう電車なんて

現代の病の象徴のようにされるものなのに

こうしてたまの休日に乗ると

まるで船でどこか遠くみたいに連れて行ってくれる乗り物になる

 

 

あはれ これしか僕の気持ちは伝えられない

職場からの帰路だった

左を向くと夕暮れのカーテンがあった

雲間から光が地表まで届き、僕はその景色に見とれた

カーテンの奥には秩父連山

彼らはあくまで山であり、山であることを誇りに思っているように感じた

僕は彼らのその姿に素直に心を動かされた

この気持ちを言葉にすることが出来ない

出来たらどんなにいいだろうと思う

でも言葉にしたら彼らの美しさを損なってしまうかもしれない

僕は言葉にすることが出来ない

写真も撮ることも出来ない

ただただそこに立ち、彼らを見つめることしか出来ない

なんと言えばいいんだろう!

この切なくて、哀しく、喜び、畏敬がある気持ち

 

あはれ

 

自分の気持ちを伝えることができる言葉はこれしかない

 

 

詩が挨拶をしてきた

詩が「こんにちは」と挨拶をしてきた

僕は驚いて、まごつきながら「こんにちは」と返事をした

詩の立ち姿は清廉であり、

凛としつつも底知れぬ憂鬱さを持っているにように感じた

詩は語り掛ける

僕は耳を傾ける

詩の言葉は聴いたことのない言語や音楽に聞こえた

僕は心地良さと不快が入り混じって不思議な気持ちになる

生きてることって詩が語りかける言葉に耳を傾けることと似てるのかな

 

とりあえず書いてみた

何かを書きたいと思って時は書くものがない

書くものが手に入った時は既に書く気力がない

困ったものですね