ぽろっぽの日記

-想いを言葉と写真で-

日本の教育は考える力を失わせている

こんばんは、ぽろっぽです。今日は教育ネタです。現在僕は29歳ですので、中学を卒業したのはもう15年ぐらい前になります。現在と15年前の教育はだいぶ変わっているかもしれませんので、ここでは僕の中学時代の学校教育前提で話を進めます。しかし、現在と昔の指導内容に違いはあっても、基本的に考えるより知識を叩きこませる教育方針は変わっていないのではないでしょうか。

 

考えるよりひたすら知識を詰め込む。今、中学の教育を振り返るとつくづくそう感じます。例えば歴史の授業では、

・なぜ日本はアメリカと戦争をしてしまったのか

・そもそもなぜ日本は満州を必要としていたのか

それらの事柄について真剣に考える授業はしてませんでした。

「昔の日本人は愚かで、勝てる見込みのないアメリカと戦争をして敗戦した。はい終わり。」

こんな感じでした。ただ、何年に太平洋戦争が勃発した。そんなことを覚えただけ。まるで今の生活に役に立ちません。そもそもなぜ日本人はアメリカと戦争をしてしまったのか、なぜ日本人は愚かだったのか。深く考えることなくとにかく知識を詰め込んだだけでした。まるでストーリーもなく、単に暗記させられているだけで僕は歴史が嫌いでした。

 

歴史に限らずどの科目も基本は教科書に書いてあることを覚えるだけに頭を使っていたような気がします。「なぜ?どうして?」のような疑問について真剣に考える機会が非常に少なかったので、ひたすら与えられた答えを覚えるだけに頭を使っていました。

 

だから答えのない問題に対して考える力が非常に乏しい。すぐに答えを求めようとしてしまう。テレビのニュースを見ても事件の事実ばかりを伝え、背景まで伝えようとしていないのが多い印象です。みんな考えるのを嫌うからでしょう。

 

去年は安保関連の法案が盛んに議論されていましたが、果たして議論になっていたのかも怪しいです。安保法案=戦争法案とか聞いたときは思わず失笑してしまいました。なぜ今、安保法案を改正しなければならないのか、そういう背景を考えず、とにかく反対など、議論が全く深まっていない印象でした。反対する人は日本だけでどうやって日本を守るのか。賛成する人はこれからテロリストに標的される可能性が増すがそれに対してどうやって日本を守るのか。大事な論点は今後の日本をどう守るのかということだと思うのですが、そもそもお互いの論点がずれている。そんな印象でした。

 

このような現象が起こるのは、知識ばかりを詰め込み、問題の背景を考えたりすることを怠った日本の教育が起因しているのではないでしょうか。問題の背景を考える習慣がつかないまま成人した大人がこのような現象を起こしているのではないでしょうか。これは恐ろしいことだと思います。日本がかつて戦争に至ってしまったのも、このように考えることを怠った故に、いつの間にか戦争していたのではないでしょうか。

 

そもそも教育の目的の一つとして日本の未来や国民を豊かにすることにあると僕は思います。知識や問題の答えを暗記することだけが教育だけではないと思います。国や個人を豊かにする明確な答えは今もありません。答えのない問題から答えを出すのは非常に難しいです。だからこそ、歴史なら問題の背景を知ったり、間違ってもいいから自分なりに考え仮説を立てるなどして、考える力を養うことが必要なのではないでしょうか。