仕事は能力と労働力で出来ている。ー僕の働き方ー
自分を養うために、家族を養うために、趣味をするために、生きるために
これらを行うにはお金が必要だ。だから多くの人は労働者、いわゆるサラリーマンとなり、自分の労働力を会社(使用者)に提供してお金を得る。
不幸なことは必ずしも自分の労働力が自分の能力に見合っているとは限らないということだ。例えば労働力100を会社に提供するために、ある人は自分の能力の50%で済む人もいれば、120%の限界を超えた能力を出さないと会社の求める労働力100を提供できない人もいる。
もし会社が今まで労働力100を求めていたのに、今度は150を求めるようになったとしたら、ある一定数の人は脱落していくだろう。
ここで僕が言いたいことを以下にまとめてみる。
・能力は個人差があり、同じ労働力を会社に提供するにしても、個人によって疲労の度合いが変わってくる。労働力の質も個人差がでる(これを仕事の質という)。
・労働力の量は基本的に会社が決めていくもので、会社の求める労働力が個人の能力を超えたら、脱落する。
サラリーマンをやっていれば、あまりにも自明の事実だが、結局のところ、この能力と労働力のギャップを埋めないと解決はできない。
ちなみに職場の人間関係で会社を辞めるケースもあるが、これもある意味その会社に提供する労働力とみられるので、人間関係、対人関係も労働力としてみる。
ここから僕個人の話になっていく。
僕は仕事が嫌いだ。
嫌いの原因は能力と労働力のギャップだ。
じゃあ自分の何の能力が足りないのが原因で、提供する労働力に追い付いていないのか。
以下、思いつくままに箇条書きに書いてみる。
①マルチタスクができない
複数の業務が重なると頭がパニックになる。忘れることもしばしば。頭がパニックになることによって逆に何も仕事が手につかなくなる。
②他部署との連絡調整
人に依頼したり、わからないことを聞くのがすごく億劫。一言で言ってしまうと自分の無知を知られたり、恥をかくのが嫌。
③解決方法がわからない問題に直面するとパニックになる。
人に聞いて解決できることもあるが、そもそも人に聞くのが億劫。しかも解決方法がわからないことに頭がいっぱいになりどうしていいかわからなくなる。
④職場とのコミュニケーション
職場の人は基本穏やかであり、かなり恵まれているが、それでも緊張して話してしまうことがよくある。変な汗をかいていることがたまにある。
⑤仕事のミスが起きることを想像して不安になる。
これからやる仕事に対して、ちゃんとやれるだろうか、ミスしないだろうかとかなり不安になる。休日も仕事のことを考えて不安になる。
こうして書いてみると、対人や自分の心の捉え方の問題が大半を占めている気がする。
頭の中でもやもやと考えていることがどんどん不安を大きくしているのかもしれない。
以下に解決策を書いてみる。
A些細なことでも紙に書く
マルチタスクができない理由の一つとしては頭の中で整理できていないからだ。思い返してみると、僕は人の話を聞いてすぐに理解できないタイプだ。それよりも本とか文字に起こしてあるものを理解する方が得意だ。とにかく些細な事でもいいから紙に書くのがいいかもしれない。
②~⑤の問題は対人、自分の心の捉え方だが、これも僕の頭の中で常に不安に満たされているからだと思う。自分が何をすべきかしっかりと整理できていれば、今まで人に依頼したり、聞いたりすることがやりやすくなるかもしれない。そのためにはやはり紙に書くのがいいような気がする。
B知識を蓄える
そしてやはり日ごろから仕事の知識は蓄えなければいけいない。知識を蓄えることによって、わからないことも少なくなり、パニックが減る。
Cわからないことは人に素直に人に聞く
恥を忍んで人にわからないことは人に聞く。聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥。聞くのが億劫だったら、まずは聞きたいことを紙に書いて自分の頭を整理しよう。また変なプライドは捨てて、自分はこんなことも知らな人と思われていいようにしよう。
仕事は能力と労働力で出来ている。
この定義が正しいなら、いかに自分の能力を上げ、そして労働力を減らすかが問題になってくる。
ここまで能力の問題に焦点を当てていたが、最後に少し労働力に焦点を上げていこうと思う。
僕は能力も上げることも大事だと思うが、それと同じかそれ以上、労働力を下げることも必要だと思う。
これは昨今耳にする働き方改革、生産性向上とは違う。これらの言葉の意味は労働力を自体は変わらず、労働時間を減らす分、個人の能力を上げるものだからだ。だから労働力自体は下がっていないので、個人の負担は変わらない。いやむしろ前よりもきつくなるかもしれない。
しかし、労働力を下げるということは会社に提供するものが少なくなるので、給料も減るということだ。
また基本、労働力の量は会社が決めるものなので、こちらから意図的に提供する労働力を下げることになる。ストライキが一番いい例だ。まぁそこまで極端なものじゃなくても、無理なものは無理というのをしっかり伝えることが労働力を下げることにつながるだろう。
僕は自分の体調も考慮するとそれでいいかなと思っている。
昔の言葉で言うなら窓際族にいるポジションですかね。
長い人生、自分がどういうライフプランを送りたいかを考える時、ある程度、会社に提供する労働力のことも考慮しながら働くのは大事だと思う。
がむしゃらに働くと、それだけ会社の言いなりになってしまう。
能力が追い付く人ならいいが、僕は無理だ。
それで身体を壊したら元も子もない。
うまく自分の能力と会社に提供する労働力を見きわめながら働きたい。