僕は過度に仕事を神聖化し過ぎているから辛いんだ
仕事が嫌でしょうがない。なぜ嫌なのかもう一度考えてみる。
自分の心に浮かんできたきたものは以下のようなものだ。
①仕事が楽しいと思わない。
②他人のペースに合わせながら仕事するのが辛い。
この2つが仕事の嫌な理由なら解決する方法も出てくる。それは2つの理由の逆を選べばいい。
①仕事が楽しいものを選ぶ。もしくは今やっている仕事を楽しくなる方法を考える。
②他人のペースに合わせなくて良い仕事を選ぶ。
解決方法についてもう少し考えてみる。
①仕事が楽しいものを選ぶ。もしくは今やっている仕事を楽しくなる方法を考える。
転職、もしくは自分で工夫して今やっている仕事が楽しくなるように工夫すればよい。でもそもそも僕は何が楽しい仕事かわからない。だからこの解決方法は簡単なようで難しい。
②他人のペースに合わせなくて良い仕事を選ぶ。
フリーランスもしくは自営業の仕事がいいのかもしれない。でも仕事とはそもそも他人が必要としているものに対して、それを解決してあげることによって、仕事というものが初めて生まれるものだから、仕事は絶対に他人のペースに合わさざるを得ない。
こうして書くと僕は結局どの仕事をやっても、辛いと感じてしまうような気がする。
そもそも仕事は自分の生活をする上で必要なわけだから、つべこべ言わずに、黙って仕事をすればいい。そう思って仕事をやっている人も大勢いるだろう。だけど、僕はどうもそれができない。黙って仕事が出来ない性格なのだ。だからこうして、延々と仕事の嫌な理由について考えている。
そして仕事の嫌な理由が労働環境の悪さとかじゃないから、よりやっかいになっている。仕事が楽しいと思わないという理由は、自分が何の仕事を楽しいか発見しなければいけないし、他人のペースに合わせるのが辛いという理由は、もう仕事する上で根本的に必要な要素が辛いと言っているからだ。
ただ、解決策はなくはない。今の仕事は自分にとって、まったく興味がないものではない。つまり、少しは興味があるということだ。そして他人のペースに合わせるというのも、自分から仕事を回しているという発想を持てばいい。仕事に対して受け身だと他人のペースに合わせるという意識が強くなるが、自分から仕事を回しているという意識を持てば、最終的には成果物を渡すために他人にペースを合わせることに変わりはないが、自分が主体となっているので、自分のペースというものが加わわる。
仕事は嫌だが、生きていく上で仕事はしなければいけない。嫌でも自分で考えてなんとか仕事をやっていこう。
そもそも僕は仕事に対してハングリーじゃないんだな。出世欲、名声欲や金銭欲があまりない。
あー、こうして書いててわかったかも。仕事に対して僕はちょっと見下している部分があるんだ。セコセコ働いている自分が好きじゃないんだ。仕事をもっと神聖なものとして扱いたいんだ。でも仕事が神聖なものっていうのは、一部の芸術家ぐらいしか出来ない気がする。芸術家になれないなら、仕事をする上で今の僕に必要なのは、仕事を神聖化せずに現実と向き合うことなのかもしれない。いや、神聖化してもいい。仕事とは社会の穴を埋める作業なのだから。でも、僕は過度に仕事を神聖化し過ぎているから辛いんだ。だから現実の仕事に対して嫌気がさすんだ。もう仕事を少し現実よりに考えて、それでいて神聖な部分も持つ。そういうバランスが今の僕に必要なのかもしれない。