ぽろっぽの日記

人生、読書、健康、つれづれ。ー日々感じたことを言葉と写真で表現したいー

転機に至るまでの心の動きに耳を澄ませることが何よりも大切だと思う。

転機というのはあくまで結果である。

 

転機が起こるまでには大小含む様々な心の動きがあり、

それらの積み重ねが、ある時何かのきっかけに触れると確実的、決定的に自分を異なる場所へ連れていかれる。

要は転機というのはあくまできっかけにすぎないと自分は思っている。

 

転機という言葉を聞くと、何もない所からポンと今までの自分を劇的に変えてくれる明るい未来への懸け橋である連想をしてしまう。

たしかに僕自身も転機によって環境は大きく変化し、以前より明るい未来を描けるようになったのは事実だ。

 でも今になって冷静に振り返ってみると、自分の中で小さな心の動きがあり、それに耳を傾けていたからこそ、自分は転機を捉えることが出来たと思う。

だから僕は自分の転機を語るうえではこの小さな心の動きを語らないわけにはいかない。

 

随分と前置きが長くなってしまったが、そろそろ僕の「転機論」はここまでにして本題に入りたいと思う。
あまりに月並みで平凡の転機であるかもしれないが、僕と同じような平凡かつ、月並みの人であるばらば参考になるところがあるかもしれない。

 

今から2年前の3月、僕は30歳になる年に広島から埼玉に戻るために転職をした。
まさか自分が転職をするなんて思ってもみなかった。
前職に特別に何か大きな不満があるわけでもなかったからだ。
ふと気づいたら自然と身体が動いて転職に向かっていた。
今にして思えば、自分の心の中の小さな違和感、不安、憧れ、そういうった気持ちが段々と積み重なっていて、あとはそれらの気持ちを解決する機会(転機)を身体が無意識に待っていたんだと思う。

 

僕は大学卒業後、鉄道会社に就職した。
特に何かやりたい仕事があるわけでもなく、かといって働かないわけにもいかなかったので(働く以外に経済的に自立する手段が思い浮かばなかった)、とりあえず就職を選んだ。
なぜ鉄道会社にしたかというと、小学生の頃、電車が好きで、「将来の夢」の作文には電車の運転士と書いていたからだ。
どうせ就職するんだったら
「子供の頃の夢を大人になって実現しています」
と言った方がちょっとかっこいいと思ったし、自分自身が就職する上で納得するような気がした。
そして鉄道会社に就職後、それなりに仕事に精を出したおかげもあり、運よく社内で運転士にならないかという話が持ち込まれた。
幸いにも運転士の適性検査も通り、1年間の養成期間を経て運転士になることが出来た。

運転士になれた時はコロコロ変わりやすい小学生の頃の夢だっとは言え、夢を実現させたことは素直に嬉しかったし、自分にとって自信にもなった。
電車の運転士と一言にいっても奥が深く、やりがいもあった。
しかし、僕の心にはまた別の感情が芽生えてきていることも事実だった。

 

僕は大学時代は埼玉に住んでいたが、運転士になった当時は広島に移り住んでいた。
広島は地元ではなく、たまたま就職の関係でそこに住んでいた。

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            ー広島に住んでいた当時―


そもそも僕は地元というものがない。
親の仕事の関係で、生まれてから3歳までニュージーランドで、小6の夏までは川崎にいた。そして浪人までは新潟の長岡市にいて、大学入学と同時に埼玉に移った。
父の実家は静岡にあり、後継ぎということもあり、ずっと社宅で暮らしている。
だから僕の実家は必然的になく、強いて言うなら父の実家の静岡になる。
しかし、静岡は年に2回程度行く程度で幼馴染の友達がいるわけでもないので、地元という感じは全くない。
だから「出身はどこ?」と聞かれると答えに困ってしまう。
僕はそのことを聞かれる度に
「はて、自分の出身はどこだろうか。ニュージランドの記憶はないから、川崎か長岡になるかな」
と自分でもよくわかっていない。
ただ、長岡は自分という人間を形成する上で非常に大切な場所であったことから、出身は長岡と答えるようにしている。
地元という感じとはちょっと違う。
地元ではなく、長岡は自分という人間を作ってくれた場所という意味で出身地という言葉がしっくりくる。

 

そんな具合に僕にとって地元とはいったい何だろうと考えさえる機会は度々あるが、そもそも地元がないので、広島やほかの場所に住んでも別に平気だと自分では思っていた。

しかし、高校や大学の友人の結婚式、妻の実家(千葉県にある)の帰省で関東方面に行くたびに、どこか安堵した気持と、無意識に張りつめていた緊張から解放されるような気持になった。関東方面に戻る度に、東京駅のあの高層ビル群に圧倒される自分が妙に心地よかったりした。
もう埼玉には自分の家はないが、わざわざ自分の住んでいたところまで行って、ふらふらと散歩して、住んでいた当時を懐かしんでいることもあった。
そうした気持ちは就職するまでに経験したことがなかった。
「地元に帰るってこういうことなのかな」
自分なりに地元というものが少しわかった気がした。

僕の地元はどこか?
この経験から、どこか遠くから帰ってきても安心できる場所というのが大きな要素になった。
そしてさらに場所を絞るなら埼玉だと思った。
大学入学時、長岡から来た人間にとっては東京は非常に魅力的な大都会であった。それと同時にどこか長岡のようなのどかな田園風景と山々の自然に囲まれた景色を求めている。都会と自然にどちらも触れさせてくれる埼玉に心を落ち着かせてくれるものがあった。

そして今の僕にとってはそういう地元を必要としていることに気づいた。

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       ー関東に戻る度に東京駅の高層ビル群を眺めていたー

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        ―用もないのにわざわざ埼玉まで足を運んでいたー

 

運転士自体の仕事は楽しく、それなりに充実していたと思う。
ただ、体力的、精神的疲労は僕にとってはかなり大きいものであった。
休みの日は仕事の疲れをとるのが精一杯で、寝ていることが多かった。
仕事は充実している。
小学生の頃の夢も叶っている。
でも何かが足りなかった。
仕事以外にも僕は必要としているものがある。
人生の余白みたいなもの。
中心にはないけど、この余白がなければ完成しない。
もっとわかりやすく言えば、自分の自由な時間だ。
当時の僕はそれが足りなく、求めていた。
仕事をしていて思ったが、僕は仕事人間にはなれないタイプらしい。
本を読んだり、どこかふらっとドライブしたり、サイクリングしたり、喫茶店でぼーっとしたりする時間を人より多く必要とするみたいだ。
特に綺麗な景色を眺めて、何も考えずただひたすら見惚れる時間は僕にとって本当に大切な時間だ。
就職してから僕はこういう時間をあまり作れていない。
というか、平日に疲れすぎてるせいで休日に何も出来なくなっていた。

今の職場に居続けると、休みの日は寝ることが多く、仕事以外にやりたいことがなかなかできない。
そして、ようやく地元というものがわかりかけたが、埼玉に戻ることは難しい。
果たして自分はこのままでいいのだろうか。
いつしかそんな気持ちが芽生えていた。

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          ―ようやく地元というものがわかってきたー

 

そんな中僕はある求人のホームページを見たことによって転機が訪れた。

ある日、何気なく、埼玉県内で就職できる職場をネットで探していたら、埼玉県密着型で出来る仕事が見つかった。しかもプライベートの時間も確保できそうだった。
この求人見て思った。
自分も地元を持てる。
帰れる場所をつくれる。
仕事以外にもやりたいことができる。

気付いたらせっせと転職の準備を始めていた。
仕事の合間をぬって、ハローワークに通い、面接対策を何度も行い、履歴書の添削をしてもらった。
新卒の就活時よりも何倍もはかどり、何より楽しかった。
頑張れば頑張れるほど埼玉に帰れる道筋が出来上がるような気がしたからだ。

 

そして僕は無事に採用が決まり、埼玉に戻ることになった。
戻ることが決まった時、嬉しさもあったが、やはり安堵した感じがあった。
自分の住みたい場所に住め、仕事以外にも自分のやりたいことが出来る。
僕にとってそれらはとても必要していたものであり、就職してからはじめて気づいたことだった。
でも気づいたからこそ行動に移すことが出来た。
転機を捉えることが出来た。
僕にとって転機はあくまで最後のきっかけに過ぎない。
僕はは一つの転機があり転職をした。
しかし、転機に至るまでの心の動きに耳を澄ませることが何よりも大切だと思う。
次の転機を捉えるために僕は埼玉でまた心の動きに耳を澄ませている。

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              ―ある日の埼玉の風景ー

 

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            ―ある日は喫茶店でぼーっとするー

 

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         ーある日は写真を撮り、飽きずに景色を眺めるー 

      ―僕にとってこのような時間は自分の声を聴く大切な時間だー