ぽろっぽの日記

人生、読書、健康、つれづれ。ー日々感じたことを言葉と写真で表現したいー

権威にとらわれずに作られたものは清らかで美しいのかもしれない 沖縄旅行15日目

こんばんは、ぽろっぽです。

早いもので石垣島にきて10日目です。

明日、石垣島を離れ那覇に向かいます。

 

10日間の間、ほとんどお天気に恵まれず、少し残念な旅行となってしまいました。

しかし、海だけでなく、島の色んな所に足を運んだことで、発見がありそれなりに楽しめました。

 

数日前に、僕は竹富島に行きました。

石垣島からフェリーで15分程度で行け、島の周囲約9キロと非常に小さい島です。

この竹富島は昔ながらの沖縄の景観が残されています。

石垣に囲まれて立っている家は内地とは違って、いかにも沖縄らしく心を楽しませます。

 

竹富島の街並み

f:id:great1-1geist:20160318131634j:plain

 

竹富島は小さい島ですので自転車で十分に周れます。レンタサイクルで自転車を借り、ブラブラ散策していたところ、非常に簡素な御嶽(ウタキ)を見かけました。

 

御嶽(ウタキ)とは内地で言う神社に相当するものです。沖縄では神様を御嶽と呼ばれるところで祀っています。

竹富島だけでも28の御嶽があるそうです。

多神教であり、多くの神様を祀っているのは内地と同じですね。

 

さて僕がみた御嶽ですが、その御嶽は東(あい)パイザーシ御嶽(おん)というものです。竹富島では御嶽(ウタキ)のことを御嶽(おん)と読むそうです。

御嶽は神聖なところですので、むやみやたらに立ち入ることはご法度みたいなので、ここでは写真の掲載を控えさせていただきます。

 

この東(あい)パイザーシ御嶽(おん)は直径3メートルにも満たない大きさの円形の石垣で出来ており、石垣の高さは膝より高く腰より低いものだったと記憶しています。

石垣の内側と外側にはヤシの木のような南国特有の木が立っていました。

 

一言で言ってしまうと、かなり簡素なものです。

しかし、かといって質素、みすぼらしいという印象はありませんでした。

 

余計な装飾がなく、無駄なものがない

簡素で清らかである

 

余計な装飾がないため、むしろ神を祀るための場所がより鮮明になっている

 

そんな印象を受けました。

 

人と神が交わる場所という確かな感覚がそこにはありました。

 

僕たちのイメージの神社はもっと畏れ多い、怖い場所、神聖すぎて近づけない場所

そんなイメージがあると思います。

 

しかし、この御嶽は違いました。たしかに、神聖な場所であるという印象は受けました。でも、必要以上に畏れを抱かせるような感覚はありませんでした。

 

もっと純粋に神を祀り、神と近づき、神と交わる場所

 

そんな雰囲気でした。

 

権威を持った者が作ると、こうはならないでしょう。もっと厳かに、いかつく、より畏敬の念を抱かせる場所にしたでしょう。

徳川家康が祀られてる東照宮はいい例だと思います。

そうすることによって自分の権威を高めようとするのでしょう。

 

しかし、この御嶽はそんなものはない。

もっと純粋である。

 

純粋だからこそ、簡素になり、清らかで美しい

 

そう僕は思いました。

この東パイザーシ御嶽を見たとき、何かを見た感覚と似ていることに僕は気づきました。

記憶をたどって思い出そうとしました。

しばらくしてわかったんです。

 

座喜味城跡と一緒の感覚だ

f:id:great1-1geist:20160309173512j:plain

f:id:great1-1geist:20160309173735j:plain

 

 

そう、座喜味城跡を見た時、同じように感じたんです。

権威にとらわれず、見せしめようとせず、ただ純粋に城の役目を果たす。

 

東パイザーシ御嶽、座喜味城跡に共通することはただ純粋に御嶽、城という目的を果たすためにあるということ。

 

だからこそ、権威的でなく、装飾的でもなく、こうもさっぱりとしていながら、清らかさ、美しさがあるのではないかと。

 

僕はそういう風に感じました。

 

この認識は僕にとって大きな体験です。

僕の求めていること、生きがい、大切にしたいことが一つわかったからです。

 

周囲に目を向け自分なりに色々考えることで、自分の核となるものに一歩近づいた

実感を得たことは今回の旅行での思わぬ収穫でした。