久喜駅散策(西口)
妻を病院まで連れていっている間に、病院でぼーっとするのもあれなので、周辺をぶらぶら散歩することに
桜が咲いていた。早咲きの桜なのかな。
市役所に通じる道路。通勤の時に使ってます。
最近、運動不足なので、早歩きでトコトコ歩く。
こちらは同じく市役所通り ー北側に向けて撮影ー
六間通り商店会の標識がある。
昔はにぎやかな商店街が並んでいたのだろうか。
この通りを歩いてみる。
酒屋さん。
踏切までについた。
特に商店街があるわけでもなかった。
久喜駅はJR宇都宮線、東武伊勢崎線、それに貨物列車も通るので、
結構短い間隔で踏切が閉まる。
近くに東北道、圏央道が交差する久喜JCTもあるので、今後交通の要衝として発展することを期待してます。
利根川が氾濫すると久喜も浸水してしまうんですね。
こちらは第二商店会。
どうやら六間通り商店会は東西に連なっているの対し、
第二商店会は南北に連なっているそう。
川越にありそうな家
久喜にもこういう建物が残っているのか。
駅に近くなると少しお店が出始めてくる。
こちらは提灯祭り通りー駅方面に向けて撮影ー
この通りを歩く。
和民
駅が見えてきた。
こんなところに喫茶店が。
思わず足がそちらに向かってしまう。
1人でくつろぐには良い場所
珈琲とお冷と温かいお絞り
全席喫煙なので一服しながら珈琲を頂く。
最近こういう喫茶店が少なくなって残念。
タバコと珈琲も喫茶店文化の一つだと思うのは時代遅れなのでしょうか。
少しでいいので、こういうお店の存在も許されてほしいです。
終わり。
久喜から東岩槻、春日部に行ってみた
3月に上尾から久喜に引っ越してはや2週間がたった。
今日は所用で久喜から東岩槻、春日部に行くことに。
とことこ自宅から久喜駅まで歩く。
車を買ってからすっかり電車に乗らなくなったな。
久喜駅東口
久喜市は菖蒲地区、久喜地区、鷲宮地区、栗橋地区が合併して現在の久喜市になっているそうです。結構広い。
メトロや東急と直通運転をしてる。都内へのアクセスは悪くない。
東岩槻に行くために、とりあえず、春日部を目指します。
この電車なつかしいな。
小6まで川崎の宮崎台にいたけど、たしか田園都市線でも見かけた。
少なくとも25年前から走ってるかな。
今は東武も直通運転して、久喜にもこの列車が乗り入れするようになったのか。
不思議な縁を感じる。
車内はさすがに改装されていた。
空いていて快適。
春日部到着。
アーバンパークラインって定着してないよね。
野田線はいつのまにか急行が走るようになった。
大学時代の時に走っていればもっと通勤がらくになってたのにな。
東岩槻到着。
初めて下車した。
特に何もない。
銀行、カフェ、ローソンがあった。
再び春日部駅へ。
クレヨンしんちゃんが迎えてくれている。
鉄道が高架になるそうです。
春日部駅もだいぶ変わるのだろうか。
春日部とはサトーココノカドー。もとい、イトーヨーカドー。
クレヨンしんちゃんを推してる。
発車メロディもクレヨンしんちゃんの曲がかかってた。
終わり。
僕に今必要なのは悩みに立ち向かうことが出来る心身の状態を作り出すことだ。
ちょうど1か月前に、もっと日ごろの行動を丁寧にやって、余計な悩みから絶つようなこと書いた。
自分の行動をよく観察して、何事も自分のやっていることに向き合うことが必要だと思っている。 - ぽろっぽの日記
人間とは本当に忘れやすい生き物で、この日記を書いた1か月後の僕は、自分で書いたことをいつの間にかすっかり忘れて実践できずにいた。
それでも今日はなんとか一か月前に書いた日記を思い出して、実践してみた。
なぜ1か月後の今になって思い出したかというと、あまりにも仕事やプライベートに対して悩みすぎて物凄く苛立っていたからだ。こうやって書くとさぞ深刻な悩みを抱えているように見えるが、別にそういうわけでもなく些細な悩みだ。
・仕事が思うように捗らない
・誘惑に負ける自分の意志の弱さに自己嫌悪する
そんな悩みが自分に対する苛立ちとなり、より悪い方向になっていく。
悪循環に陥る前に気分を落ち着けようとしたときに、前回の日記を思い出したわけだ。
とりあえず、深呼吸して今の自分を客観的に見るようにした。
僕は何にイライラしているのだろう。
何に悩んでいるんだろう。
気分を落ち着けるために動作をゆっくり丁寧にやるようにした。
車の運転、歯磨き、字を書くことなど
今日は天気が良いので、洗濯をすることにした。
そして今僕はパソコンに向かってこの日記を書いている。
いつもならあまり文章を見直すことはないけど、今日はゆっくり見直してみる。
ビートルズのホワイトアルバムが流れてる中、熱いをお茶を飲みながら
少し気持ちが落ち着いてきた。
本当はもっと根本的に悩みの元をなくすべきことはわかっている。
でも悩みの元をなくすにはまずは心身を整えることが必要だ。
僕に今必要なのは悩みに立ち向かうことが出来る心身の状態を作り出すことだ。
だから僕は日々の行動を丁寧に取り組む必要がある。
自分の行動をよく観察して、何事も自分のやっていることに向き合うことが必要だと思っている。
仕事へ行く前に備忘録として記録しておく
僕は先の予定の事や、嫌なことなどをくよくよ考えてしまうタイプだ。
考えるというよりはグルグル同じ事柄をひたすら回しているだけで、実は何も考えていないと言った方が正しい。
考えるというよりは悩んでいる。
自分なりに悩まないように気を付けているつもりではあるんだけど、いつの間にかまた悩んでいる自分がいる。
悩むことが癖になっている。
しかも悩んでいる時は、案外何かをしながら悩むことが多い。
例えば歯を磨きながら、洗濯物を畳みながら、髪を洗いながら
これら何かをしながら悩んでいるということは、裏を返すと、今自分のやっていることに向き合っていないことだと感じている。
きちんと歯を磨くことに集中するとか、洗濯物を畳むことをするとか、自分の今やっていることに対してしっかりと向き合えば、恐らく悩むことが少なくなると思う。
今一度、自分の行動をよく観察して、何事も自分のやっていることに向き合うことが必要だと思っている。
虚無感について
虚無感といったものはどこからやってくるのだろうか。僕はたまに虚無感に囚われてしまうことがある。一旦とらわれてしまうと何もやる気が起きなくなってしまう。何かのスイッチを切られてしまったかのうように。
そもそも僕はいつから虚無感を感じるようになったかを思い出してみた。恐らく、大学受験が終わった後だろう。当時、自分ではこれ以上ないぐらい勉強したにもかかわらず、第一志望が不合格だった。努力が実らなかったときの虚しさ。あの時以来、僕は度々、虚無感に襲われるようになった。
ある人は虚無感とは自己肯定をする一つの手段ということだ。虚無を感じることによって、自分と言う存在が特別ということを暗に感じさせるらしい。たしかにそうかもしれない。何をやっても虚しいということは何かを求めている裏返しとも言える。何かを求めているけど何も出来ない自分がいるから、虚無を感じて自分のプライドを保とうとする。
虚無を克服するには求めるという行為を完全になくすか(俗にいう出家か)、あるいは求め続けて、何かを得られるまで、必死になってもがき続けるしかない気がする。
ー西湖の夜ー
虚無感を受け入れつつ、克服したい
太宰治の『トカトントン』はこういう心境のことを指しているのだろうか
不条理とは寛容さであり、心を豊かにしてくれるもの
最近、不条理と言う言葉がよく頭に浮かぶ。自分ではどうしようもできない運命に翻弄されるようなことだ。自分の周囲を見渡すと切に感じる。自分の努力ではどうにもならない。ただただ、運や環境に左右され、自分の人生が決定されていく。
僕は厭世主義者ではないし、努力を否定するつもりもない。でもやっぱり運命によってどうにもならないことはあると思う。病気になりやすい人、そうではない人、頭の良い人、そうではない人、陽気な人、根暗な人、家庭環境の良い人、悪い人
個性という言葉を使うと響きがいいけど、学校や会社などの集団生活における競争社会に入ると、その個性というものが自分に辛く当たってくる時がある。
僕はこの不条理というものが受け入れることが出来ないかったから努力というものでなんとか補おうとしていた。もちろん僕なんかより何倍、何百倍も努力している人がいることも知っている。でも僕なりに必死でやってきたことも事実だ。それでもどうしようもなくダメな時がある。努力ではどうにもならないことがあることをたくさん経験した。
だから僕は不条理と言うものを受け入れることにした。不条理と言うものが世の中の真理の一部なのだと認識するようにした。努力を否定するとかそんな単純に物事を割り切るのではなくて、ただ不条理という事実を受け入れることにした。『方丈記』に書かれているように。
不条理を受け入れるという事は自分自身も受け入れるということでもある。自分という不条理な部分を受けとめることでもある。人生を受けとめるという事でもある。不思議とそうすることで優しくなれるし、哀しみを感じれるようになった気がする。
不条理とは寛容さであり、心を豊かにしてくれるものだと今は思うようになってきている。
ー星峠からの朝もやー
写真とポエムを綴っていた理由
久々に今の心境をブログっぽく綴ろうと思う。ここんところ、写真とポエムっぽい記事を投稿していたが、今の自分の気持ち、思考を冷静に見つめて文字に起こすには、そのやり方だと無理だと感じたからだ。
自分の気持ちが整理したくてもできない時がある。そんなとき人は泣いたり、叫んだり、身体を動かすなどして、気持ちを落ち着けようとする。そして落ち着いてから今までの自分の気持ちや思考を冷静に振り返るために、考えたり、人に話したり、文章にしたりする。
最近の記事でポエムが多かったのは、気持ちの整理ができていなく、とにかく何かを出したかったのかもしれない。ただ叫びたかったんだと思う。でも何を叫びたいか自分でもよくわからない。ぽっと頭に浮かんだものとにかく文字にして叫びたかった。
きっと焦っているんだともう。もう30歳を越え、世間的に見ればもう十分な立派な大人だ。でも僕自身はこれから何を目指したいのかハッキリしていないし、かといって何も考えずに生きていくつもりもない。そうした自分に焦っているから、このブログを通して少しでも自分の気持ちを表現したい、何かを形にしたいと思い、写真とポエムを綴っていたんだと思う。
でもそろそろ冷静に自分の気持ちを振り返ることが必要なんじゃないか。ただがむしゃらに行動してるだけじゃダメな時もある。今自分の置かれている状況、心境に対して、ぐっと正面から見据えることも必要なんじゃないか。そうすることによって何かが見えてくるかもしれない。
秩父からの夕焼け
ー僕にとって夕焼けはあらゆる静寂を与えてくれる貴重な時間だー