虚無感について

虚無感といったものはどこからやってくるのだろうか。僕はたまに虚無感に囚われてしまうことがある。一旦とらわれてしまうと何もやる気が起きなくなってしまう。何かのスイッチを切られてしまったかのうように。

 

そもそも僕はいつから虚無感を感じるようになったかを思い出してみた。恐らく、大学受験が終わった後だろう。当時、自分ではこれ以上ないぐらい勉強したにもかかわらず、第一志望が不合格だった。努力が実らなかったときの虚しさ。あの時以来、僕は度々、虚無感に襲われるようになった。

 

ある人は虚無感とは自己肯定をする一つの手段ということだ。虚無を感じることによって、自分と言う存在が特別ということを暗に感じさせるらしい。たしかにそうかもしれない。何をやっても虚しいということは何かを求めている裏返しとも言える。何かを求めているけど何も出来ない自分がいるから、虚無を感じて自分のプライドを保とうとする。

 

虚無を克服するには求めるという行為を完全になくすか(俗にいう出家か)、あるいは求め続けて、何かを得られるまで、必死になってもがき続けるしかない気がする。

 

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ー西湖の夜ー

虚無感を受け入れつつ、克服したい

太宰治の『トカトントン』はこういう心境のことを指しているのだろうか