不条理とは寛容さであり、心を豊かにしてくれるもの

最近、不条理と言う言葉がよく頭に浮かぶ。自分ではどうしようもできない運命に翻弄されるようなことだ。自分の周囲を見渡すと切に感じる。自分の努力ではどうにもならない。ただただ、運や環境に左右され、自分の人生が決定されていく。

 

僕は厭世主義者ではないし、努力を否定するつもりもない。でもやっぱり運命によってどうにもならないことはあると思う。病気になりやすい人、そうではない人、頭の良い人、そうではない人、陽気な人、根暗な人、家庭環境の良い人、悪い人
個性という言葉を使うと響きがいいけど、学校や会社などの集団生活における競争社会に入ると、その個性というものが自分に辛く当たってくる時がある。

 

僕はこの不条理というものが受け入れることが出来ないかったから努力というものでなんとか補おうとしていた。もちろん僕なんかより何倍、何百倍も努力している人がいることも知っている。でも僕なりに必死でやってきたことも事実だ。それでもどうしようもなくダメな時がある。努力ではどうにもならないことがあることをたくさん経験した。

だから僕は不条理と言うものを受け入れることにした。不条理と言うものが世の中の真理の一部なのだと認識するようにした。努力を否定するとかそんな単純に物事を割り切るのではなくて、ただ不条理という事実を受け入れることにした。『方丈記』に書かれているように。

 

不条理を受け入れるという事は自分自身も受け入れるということでもある。自分という不条理な部分を受けとめることでもある。人生を受けとめるという事でもある。不思議とそうすることで優しくなれるし、哀しみを感じれるようになった気がする。

 

不条理とは寛容さであり、心を豊かにしてくれるものだと今は思うようになってきている。

 

f:id:great1-1geist:20170512051255j:plainー星峠からの朝もやー