『方丈記』をブログの参考にして、ゆる~く書いてみる
なんだかんだでブログを始めて160もの記事を書いた。
まさか自分がこんなに続くとは思わなった。
それなりに書いて感じたことわかったことがあったので、
一つ書いてみようと思う。
他の人のブログを見てると本当に十人十色であり、
色々な記事がある。
ブログというと僕がすぐさま思い浮かぶのは炎上系だ。
自分の考えを載せたらそれが瞬く間に物議を醸し出し、
非難中傷の渦になる。
僕はそういうものには巻き込まれたくないので、
比較的物事をやんわり書くように心掛けてはいるつもりだ
まぁそもそも炎上するということはその人にそれなりの文才なり
惹きつける力があるので、一つの能力とも見れる。
ここで僕が言いたいのは炎上が絶対悪とか言いたいわけではなく、
あまり角が立たず、比較的寝ながらのんびりとくつろいで見れるような
ブログなり記事を書ければいいと思っている。
結局のところ人間というのは矛盾の塊みたいなものなので、
なかなか断定的に物事を判断したり、行ったりするのは難しいと僕は考えている。
例えば、僕は旅行が好きでいい景色を見るのが好きだ。
だから元気のない時、気に病んでるときはいい旅行して、いい景色を見れば元気になる
でも実際はそんなことはない。
逆に旅行することによって気が滅入っているのがさらに悪化したケースもある。
人は物質で、数式で表せるものではなく、心というものがはいっていて
中々計算通りにはいかない。
これは文章にも同じことが言える。
今の自分の考えや思想をブログに載せても、何か自分に大きな価値観の変化が起きて、その考えや思想が変わってしまうかもしれない。
いやそもそも価値観の変化という大それたものでなくも十分に起きる。
気分がそうだ。
今日は喫茶店でのんびりしたい気分でも、明日には身体を動かしたくて、逆に喫茶店にいるとイライラしてくるかもしれない。
ブログを始めた当初は自分の考えや価値観を割と固定させて書いてみたが、
意外にストレスになることを発見した。
頭をベルトで締め付けられるような、窮屈な感じがした。
いつかの記事で僕はなんで同じことを何度も書くのかという記事を書いたが、
結局は僕という人間は物事に縛り付けれるのが苦手な人間であり、気分によって文章を書きたいということだ。
気分で書くということは同じような事でも価値観が変わってるかもしれないし、文章のニュアンスも変わってくる。
そういうふわふわした感じの文章を書くのが自分には合っていると感じだ。
これはブログを始めたからこそ発見したものだ。
ブログってネット社会が普及してから始まったようなイメージがあるが、要は公開型の日記としてみれば、昔から日本はやっていたりする。
『方丈記』なんかはそれに該当する。
『方丈記』は平安末期から鎌倉時代にかけて鴨長明という世捨て人によって記録された日記だが、これが案外ゆるい感じに書かれておもしろい。
現代でいうとphaさんに近いかもしれない。
ある人は『方丈記』の内容は愚痴っぽいとも言うが、別に過激に他人を中傷するようなこともなく、世の中の無常さ、儚さを淡々と歌のように書いてある。
これは現代のブログでも大いに参考になりそうな内容なり、文章表現だと僕は個人的に想っている。
だらだらと長いこと書いたけど、
僕はブログではゆるく、書きたいときに書いて、価値観を変に固定することなく、気の向くままにやっていければいいと思っている。