「生きる」ことの定義を変えるか、それとも環境を変えるか

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生きるって何だろう

こんな疑問は誰もが持ったことはあると思う。

日常の生活に疲れ、ふと心が緩んだ時に浮かび上がってくる。

僕にとって生きるっていうのは

 

寝て

食べて

排泄して

考えて

喜んだり

悲しんだり

怒ったり

 

ところが日々の仕事に追われたりして、食べる、寝る、考える、喜ぶなど

基本的なことが出来なくなると、僕の定義する「生きる」が出来なくなる。

そこで人は生きるって何だろうと考える。

 

僕の定義の「生きる」が出来なくなった人はそもそも「生きる」定義を変える必要がでるかもしれない。

あるいは「生きる」定義を変えずに「生きる」ことが出来る環境に身を移すことが必要かもしれない。

 

僕は「生きる」定義を変えたくはなかった。

寝て

考えて

喜ぶ

などを失いたくはなかった

 

前の会社に居続けるには「生きる」定義を変える必要があった。

僕にはそれが耐えられなかった。

だから僕は「生きる」定義を変えずに、環境を変えた。

「生きる」定義は人それぞれ

大事なことは自分の中で「生きる」定義を持ち、客観的に自分を見ることだと思う。

自分の生きる定義を思い切って変えてもいい

あるいは定義はそのままで環境を変えてもいい

自分なりに感じたことや考えたことをありのままに見ると

少しだけ自分の進みたい方向がわかるんじゃないかな