僕たちはこれから何を拠り所に生きていけばいいのか 沖縄上陸12日目
こんにちは、ぽろっぽです。
今日の石垣島は晴れです。
石垣島にきたのに、ほとんど曇りか雨の中で過ごしてきたので、ようやく南国気分を味わえそうです。
沖縄本島、石垣島に来てもう12日目になりますが、色んな人に出会い、色んな場所に行きました。
今朝、布団の上でゴロゴロしながら、岡本太郎の『日本の最深部へ』ちくま学芸文庫を読んでました。その中でふと考えさせれる内容があったので、忘れないうちに今日のエントリにしようと思ったので以下、述べていきたいと思います。
その内容はざっくり行ってしまうと
「今後の芸術の役割」
「今後の私たちのいきがい、よりどころ」
という壮大なテーマです。
科学技術が発展し、合理化が進む世の中にも関わらず、私たちは生きがい、よりどころは十分に獲得できたかというと疑問に感じる方は多いでしょう。人は集団からの束縛から個人とシフトし、個人で好きなことができるようになりましたが、その分孤独を背負わなければならなくなりました。
果たしてそれがいいことなのか、悪いことなのかわかりません。それは今後の歴史が証明することでしょう。ただ、昔のように、宗教や国家権力を背景にした、強大な権威集団を基にした生活を拒むんだからこそ、今のような民主主義、近代合理主義があるのだと思います。
しかし、科学が発展し、合理化が進んでも僕たちは生きがいをもって生活できてるとは言えません。日本だけでも毎年3万人前後の方が自分の命を絶っているということが証明しています。
人間はそもそもロボットではありません。0と1で構成される2進法、オンとオフの二者択一の法則で生きていません。人間は生物です。デジタルではなく、アナログです。
だからこそ、近代合理主義でも違和感を感じるのだと思います。
しかし、かといって昔に戻るわけにもいきません。今更、みんなが宗教に目覚めよう、やっぱり個人の意思や思想ではなく集団によりかかろう
などと昔ながらのやり方でもうまくはいかないでしょう。
すでに歴史が証明しています。
では私たちはどうすればいいのか。
それはすぐに答えの出る問題ではないでしょう。
夏目漱石を初め、川端康成、三島由紀夫などの文学者もこの問いに対して果敢に挑戦しようとしたことが、彼らの作品なり行動なりに読み取れます。
岡本太郎もこの問いに対して真正面からぶつかりました。
そしてそれが彼の作品への原動力ともなっていたようです。
彼れらの作品をある程度読みましたが、結局のところ、
何を拠り所にすればいいのかは各個人で自力で見つけるしかない
これに尽きるような気がします。
しかし、彼らの作品を読むことによってヒントを得られます。
そのヒントとは何か?
自分を相対的に見ることができる
結局のところ自分の存在を知るにはまず自分以外のことを知ることが重要なのではないか?そう考えるようになりました。
自分の姿、形は鏡を見なければわかりません。
自分の性格は他人と比較して初めて分かります。
自分以外のことを知ることで自分とは何か?自分の生きがいは何か?を考えるきっかけとなります。
だからこそ本を読む意味が出ててくるのだと思います。
本を読むことは色々な価値観を知り、自分とは異なる価値観、または同じ価値観を知り、自分を相対的に知ることが出来ます。
歴史も同様だと最近思うようになりました。
過去を知ることで現在のことを相対的に知ることが出来ます。
様々な価値観、歴史を知ることで自分のことや、生きがいとするもの、などが十分にわからなくてもある程度の自分の座標軸が定まり、不安から救ってくれます。
僕自身の例を挙げます。
僕は自分の拠り所とするもの、アイデンティティというものを考え出すようになってからは毎日を憂鬱に過ごしていました。
しかし、多くの本や友人との会話で徐々に自分の価値観が相対的に把握できるようになってきて、少しづつではありますが、自分の拠り所、アイデンティティがわかるようになってきました。
今回の沖縄旅行で再確認しているのですが、
僕にとっては自然と触れる時間が大切みたいです。
綺麗な山、海、川、田園、そんな景色を見ると何か救われるような気持になります。
もっと的確に言うなら雑念が消え、無の感覚とでも言った方がいいでしょうか。
今までの僕は社会的な評価で自分の存在を得ようとしていました。
しかし、どこか虚しい気持ちがありました。
自分の存在をもっと感じ取りたい気持ちがありました。
しかし、それが何かがわからない。
でも本当は昔からわかっていたのかもしれません。
昔から僕は自然の景色を見ることが大好きでした。
そしてこういう風に自分の存在について考えることが好きでした。
でも、世間の幸せ、価値観は、自分とは違っていることに戸惑いを覚え、自分に自信がなかったので、いつの間にか世間の価値観に染まっていたのだと思います。
しかし、世間の価値観に染まることでかえって自分自身から遠のいてしまっていました。
もっと自分のことを徹底的に掘り下げることが大事だと気づきました。
そして掘り下げて掘り下げて、掘り当てることが出来たらそれはおおきな生きがいとなります。
僕にとって自然の景色を眺めることは掘り当てられた宝の物の一つでした。