就活とは生きた自分を無理矢理に情報化する作業でもある

こんばんは、ぽろっぽです。今夜は寒くなりそうですね。西日本では40年ぶりの大寒波来ることをテレビで騒いでますね。さて、今日はふと就活のことが頭に浮かんだので、就職活動に関するエントリです。

 

就職活動、いわゆる就活ですね。就職活動というと決まって自己PRが出てきますね。この自己PRに頭を悩まされている就活生も多いのではないでしょうか。僕も就活の時は大いに悩まされました。

 

就職活動の自己PRなどは自分を商品に見立てて、生きている自分を無理矢理情報化する作業であると最近感じています。情報化するということは、客観的事実とでも言い換えられるでしょうか。

 

例えばリンゴ。リンゴといったら何色を想像しますか。恐らく、多くの方は赤を想像するのではないでしょうか。リンゴは赤。これは客観的事実です。就職活動もこれと同じではないでしょうか。リンゴが人に変わっただけの話。

 

私は明るい人です。なぜなら今まで生活してきた中で、私は多くの人にそう言われてきたからです。こんな具合に。

 

しかし、人はリンゴと違って、変化します。だから難しい。赤いリンゴは誰に見てもらっても赤いリンゴだけど、人はそうじゃない。明るい人も実はある環境では暗い人にもなるかもしれない。そう、人は環境や時間で変化するからです。しかし、これでは企業は採用に困る。だから、あなたの人生経験からなんとか客観的事実をとりだして、あなたという人を規定、つまり情報化しようとする。よく就職活動でるやる自己分析とは自分を情報化することに他ならないことではないでしょうか

 

そして就活生は誰でも客観的に見て、自分はこういう人間ですと情報化する準備をするわけです。そして客観的事実を上げるために自分の今までの学校生活、アルバイト、サークルでのエピソードを話します。そこでのあなたの行動であなたの性格や能力をみます。

 

しかし、実際は客観的事実は全然客観的ではない。

例えば私はリーダの素質がある。こんな就活生を仮定します。リーダーの資質は色々ありますが、ここでは、この人は人の意見をまとめて一つのベクトルに向かわせることが出来ると仮定しましょう。学校生活やアルバイトでそうだった。だから企業に勤めてもそういう所で能力を発揮できる。

しかし、それはたまたま学校やアルバイトの環境がその人の能力を発揮しやすくしてただけかもしれない。企業だと自分よりもっとリーダー資質を持っている人がいるかもしれないし、企業の環境はあなたをリーダーの能力を発揮しにくい可能性もあるかもしれない。あくまでのその人の人生がたまたまそういう能力が発揮できる環境だったからかもしれない。

 

もっと極端かつ分かりやすい例で言ってしまえば、スポーツです。例えば市内の野球チームで活躍していた人が、プロやメジャーなどで活躍できるかといったらそういうわけではない。

しかし、就職活動ではこの市内チームで活躍していた人が、もしかしたら、俺、プロやメジャーでもいけるんじゃねと思って、みんなこぞって大企業に応募する。当然中には厳しい競争に勝ち残れず、自分の長所なるものが実は、そういった大企業では長所でもなんでもないという風にみなされてしまうこともありうる。

 

結局のところ、就活は自分という人間を限られた人生経験、かつ非常に狭い世界で経験した中で、自分の立ち位置を客観的にみせかけた非常にあやふな情報を提供しているに過ぎないと思います。

 

そもそも人は置かれた環境で立ち位置やふるまいが変わるのが普通だと思います。

僕は小中高の学校時代はリーダーなんてやったこともなかったですし、やれるタイプでもなかったです。でも大学のサークルでは部員70人をまとめる部長になった。それは単にそのサークルの仲間と自分の相性が良かっただけです。たまたまリーダー気質の人が僕のサークルでいなかっただけであり、その中のでは僕が一番の適任者だっただけの話です。

 

人は置かれた環境でその人のふるまいや立ち位置が変わるのに、無理矢理自分をあたかも商品のように決められたスペックのごとく情報化するのは変な話です。そういう意味では就活はある種の茶番を感じます。この茶番を上手く演じられる人が内定をもらえる。そこそこ何かをやって、それをきちんと言葉で情報化して、しかも他の就活生よりもスペックが高いことを言葉やふるまいでアピールすることが出来る人です。

 

内定を得られない人は別に人格を否定されたわけではありません。単に生きた自分を無理矢理に情報化することが出来なかっただけの話です。茶番をうまく演じられなかっただけです。