ぽろっぽの日記

-心に舞う蛍を追いかけて-

引きこもりの時期があってよかった

こんばんは、ぽろっぽです。今日は僕の引きこもりのことについて書きたいと思います。僕は大学3年あたりから引きこもりがちになりました。完全な引きこもりではなく、アルバイトや学校、サークルにも顔を出していましたが、家で過ごすことが多くなったのです。

 

引きこもりがちになった理由は将来の不安からです。この先の自分の人生を考えると、なんとなく就職して、なんとなく家族をもって、そして死を迎える。そんな風に考えると、とても不安になりました。自分の人生そんなんでいいのか。もっと人生を充実させられることはできないのか。かといって当時の僕は何をすればいいのかわかりませんでしたし、今まで自分で道を切り開いた経験もないので途方に暮れていました。

 

そんな状況でしたから、学校の授業にも身が入らず、気付いたら留年が確定しました。何がしたいというのもわからず、先のことも不安。そんな時、とにかく本を読むことにしました。今まで本を読む習慣がなく、価値観もだいぶ狭いと思い、家で引きこもる時間を読書あてようと考えました。

 

このプチ引きこもりの時期?が今の僕を大きく支えているような気がします。読んだ本は主に小説でしたが、

人間の不可思議さ、人生には正解がないこと、過去の歴史を見ると常識は変わっていくものだということ、自分の頭で考える力

など多くのものが得られました。

また留年という、少しみんなと違ったレールを歩くことによって、決められたレールだけが良いという先入観からも脱することが出来ました。視野が広がったとも言い換えられます。

 

こうした経験があったからこそ、僕は転職という道を選択でき、今、自分の人生を歩んでいるという確かな実感が得られているのだと思います。引きこもり以外にもベストな選択肢はあったかもしれません。旅をする、ボランティアする、起業する、など他にも良さそうな選択肢はあったと思います。しかし、それらの選択肢を含めて、ハッキリ言えることは、大学3年の当時、自分の頭で考え、自分の意思で引きこもるという選択をして本当に良かったと自分で納得できたことです。周りの意見や社会的な評価を得るための打算的な行動でなく、自分で考えて、自分の本心のままに行動したからこそ、今の僕があり、こうして自分の道を歩む実感を得られるまでになったと思うのです。

 

もし、大学3年の時、自分が抱えた将来の不安を顧みないで、留年せずに就職した場合は、恐らく今の会社よりももっと条件が良いところに就職でき、社会的評価も上がったと思います。しかし、それとは逆に自分の心はどんどん空っぽになったと思います。しかもプライドが高くなる一方で転職やレールから外れるという行為が出来なくなり、ますます自分の人生から遠のいたと思います。とにかく自分を保つために、プライドが高くなり、社会的評価を得るだけに精一杯になってたでしょう。

 

しかし、僕はそれを望みませんでした。空っぽになる自分が嫌でした。自分を保つためのにプライドや社会的評価に頼りたくありませんでした。人と比べたり、人の評価ばかりではなく、自分で考えて決め、自分のやっていることを純粋に楽しめる人生を送りたい。そういう想いを表現し、実現するための手段が引きこもりという行為になったのだと思います。