団塊の世代とゆとり世代の違い―屋台デビュー

こんばんは、ぽろっぽです。先日博多まで旅行に行きました。博多は何度か行ったことがあるのですが、中州で初めての屋台デビューをしました。中州は全国的に屋台が有名なところみたいですね。屋台は隣のお客さんとの席が狭い分、隣とのお客さんとの心の距離も近づくなりやすいところが魅力の一つだそうです。そして、今日、初の屋台デビューをした僕も、隣の66歳の男性とその奥さんと話す色々と機会が得られました。こういう縁も旅の醍醐味だと改めて感じました。

 

隣の夫婦の方も僕と同じ観光で博多に来て、たまたま、男性の方と僕が同じ技術系の仕事ということで、話が盛り上がってきたのですが、男性が自分の信念を貫いて今まで人生を歩んできたと言ってきたことに印象を受けました。

 

その男性はいわゆる団塊の世代にあたりますが、僕のゆとり世代と決定的に違うのが、やはり自分に自信を持って物事に取り組む姿勢があるということでした。たしかにこの先、日本の未来は明るくないですが、しかしそれでも自分たちでなんとかするという前向きな姿勢なんです。これは僕のゆとり世代には中々見られないと思います。もちろん、ゆとり世代、全員が後ろ向きとは言いませんが、やはり団塊の世代の方に比べると、後ろ向きと言われるのも無理がないと、今日改めて実感せざるを得ませんでした。

 

ちなみにその男性は僕に対して、自信を持て、前向きになれ、など説教するわけでもなく、ただ普通に会話していました。むしろ僕のことを褒めて下さるぐらい、紳士な方で、偏見的に見る方でもありませんでした。

 

そんな男性を見て、僕はなぜ団塊の世代はこうも自分に自信を持ち、僕らの世代は自信がないのだろうと改めて考えさせられました。考えた結果、やはり生まれ育った環境の違いに尽きると思いました。

 

団塊の世代は戦後の高度経済成長を支えた人です。当時はとにかく日本を豊かにするという、国民全体の目標が明確に決まっており、それが精神的な支えとなっていました。そして、確実に日本は豊かになっているという実感があった世代です。ですから、自分たちのやっていることが実績として確実に現れ、それが自信となったのだと思います。そして、当時の日本は豊かになる一方ですから失敗も許される雰囲気であったのだと思います。それだけ国が元気だったのです。

 

しかし、それとは対称的にゆとり世代は、物心ついた時からバブル崩壊を経験し、不況しか経験していません。日本の絶対的な自信であった「経済」という支えが失われてしまい、かつてないリストラがあり、多くの大人たちが挫折を経験してしまったのです。ニュースの報道や大人たちの雰囲気で、当時子供のゆとり世代も敏感にそれを感じとり、後ろ向きになってしまったのだと思います。そして、大人になっても、不況からは脱せず、どんなに頑張ったところでもリストラされる可能性はあるし、この先、待遇も良くなる保証はないといった環境にさらされているのです。ゆとり世代は物心つく頃から閉塞感の雰囲気でしか生きていないのです。

 

こんなゆとり世代に前向きになれというのがそもそも無理な話なんです。何しろ、絶対的でしかも唯一の自信としていた「経済」が日本には失われたのですから。他に日本に自信となるものがありません。今の日本は他に自信となっているものが見つかってないように見えます。本当は歴史、文化など日本にはモノやカネで計れない素晴らしいものがありますが、日本人自身がそういったものを忘れてしまっています。ゆとり世代は経済に全てをささげた日本の代償を被っているとも言えるのかもしれません。

 

しかし、だからといってずっと後ろ向きでいいとも僕は思いません。屋台で一緒になった男性と話して、自分で自分の人生を決め、道を切り開いていく姿勢は、純粋にかっこいいし、あこがれました。僕はその男性みたいにとても前向きな姿勢でいることはできませんが、しかし、男性が言ってた「自分の信念を貫く」ことはしたいです。

 

悩み、後ろ向きでもいいから、自分の信念を持ち、実行できる人になりたい。そんな風に感じた日でした。