ぽろっぽの日記

人生、読書、健康、つれづれ。ー日々感じたことを言葉と写真で表現したいー

『逃げる』ことは『行動力』があることに他ならない

皆さんは「逃げる」にどういうイメージを持っていますか?

逃げるが付く漢字を思い浮かべると

逃避、逃走などあまり良いイメージを持たない方も多いのではないでしょうか?

学校、部活、仕事などがどうしても自分に合わない、あるいは自分のやりたいことが他に見つかったときに、辞める意思を伝えようとしたら

「それは辛いことから逃げてるだけ」

と言われた方もいるかと思います。世間で言われる「逃げる」はかなり悪いイメージに感じます。

 

しかし本当に「逃げる」ことは良くないばかりなのでしょうか?

ドラクエのようなRPGでは

 

「たたかう」

「ぼうぎょ」

「どうぐ」    

 そして

「逃げる」

 

のコマンドがあります。強い敵が出た時(たまにボスでもないのにメッチャ強い敵がいますよね)「逃げる」を選択してその場から退散しますよね。RPGをした方は誰もが経験していると思います。ゲームをクリアするうえでこの「逃げる」の選択肢は必須ですよね。逃げることができなければメンバーが全滅することだって多々あります。

 

しかし、現実ではどうでしょうか。この「逃げる」のコマンドが限りなく無いに等しいように感じます。辛いことがあってもひたすら「ぼうぎょ」に徹している方が多いのではないでしょうか。「たたかう」を選択できる人はいいですが、「ぼうぎょ」ではいずれHPが減り死にます(笑)これでは絶対にゲームの場合クリアできません。現実も同じことが言えるのではないでしょうか。

 

ゲームをクリアする上では「逃げる」は立派な選択肢であり行動です。現実も同じです。どうしようもない状況では「逃げる」を選択することは賢明な判断ですし、何よりもただひたすらHPを減らす「ぼうぎょ」より「行動力」があると僕は思います。もちろんひたすら「逃げる」ではいつまでもレベルは上がりません。「たたかう」を選択し、敵を倒すことも必要です。しかし「逃げる」の選択肢があまりにも軽くみられているように感じています。

 

僕の知り合いで中学時代バスケ部に所属していた人がいました。しかし彼はバスケ部の先輩が後輩に理不尽なことばかりするので嫌になり、2年生ではバスケ部を辞め、卓球部に所属しました。ある意味、彼は「逃げる」を選択したとも言えます。しかし彼は2年生から全くの初心者で卓球部に入部したにもかかわらず、1年後には県大会にも出場するレベルになり、バスケ部を辞めたことによって彼自身の才能を開花させることができたと思います。そういう意味では彼は「逃げる」を選択したのは賢明な判断であり、「行動力」があったと思います。

 

「逃げる」ことは決してマイナスではないと思います。どうにもこうにも改善の見込みがない状況では「ぼうぎょ」よりも効果が期待できますし、「行動力」があると僕は思います。「逃げる」ができる人は「行動力」がある人とも言えるのではないでしょうか。自分にとってより良い環境を選ぶ、これは人間だからこそできる行為です。動物では良い環境を選ぶと言ってもだいぶ限られています。人間は本当にたくさんの環境から選ぶことができます。それを「逃げる」と一言で片づけてしまうのは非常に寂しいことだと僕は思います。

 

「逃げる」に対して過剰に反応し、批判する人はその人自身が「逃げる」という選択をしなかったからかもしれません。ひたすら「ぼうぎょ」に徹していたのかもしれません。だから「逃げる」ということが自分に出来なかったことであり、羨ましくもあるので、批判という行為によって、自分自身を正当化させてるんだと思います。

 

日本人は他国の人に比べて我慢強いと聞ききます。「逃げる」がマイナスイメージを持たれるのも「我慢強い」に反した行為からくるものかもしれません。時には我慢することも必要かもしれませんが、死ぬまですることはないです。精神を病むまですることはないです。「逃げる」も立派な選択肢であり行動力があることに他ならないと思います。