ぽろっぽの日記

人生、読書、健康、つれづれ。ー日々感じたことを言葉と写真で表現したいー

夢が叶ったらハッピーエンド・・・そんなに人生単純じゃない

皆さんおはようございます。夜中の3時過ぎに目を覚ましてしまい、中々寝れそうにないので、ブログを書いて、少しでも眠気を誘うように試みてます。逆に目が覚めてしまいそうだけど。

 

ふと、さっき布団の中で思い浮かんだのが、この記事のタイトルでした。僕たちが暮らす世間一般では、夢が叶うことは至上の幸福であり、人生の最終目標のような見方をされることがしばしばです。実際にそういった話のものが多く映画にされていますし、希望を与えています。しかし、

 

夢が叶ったらハッピーエンドになるのでしょうか

 

人間とは欲望が限りなく出ててくる生き物です。夢が叶ったら、また別の夢を追うのが人間だと僕は思います。たしかに夢が叶ったときは最高に嬉しいでしょう。しかし、その幸福感が永久に続くかどうかは疑問です。燃え尽き症候群というものがあるように、一旦夢が叶ってしまうと、虚無感、脱力感みたいなものを感じるのではないでしょうか。しかも、それが目に見えるもの、例えばなりたい職業や、何かの賞をとるなどは、より強い脱力感を感じそうです。燃え尽き症候群にならないには、ひたすら夢を持ち続け、夢が叶ったらまた別の夢を追う。その繰り返しだと思います。まさに人生そのものですね。そう、そういう意味では

 

夢を叶えるという行為はハッピーエンドではなく、一時的にハッピーにさせてくれるもの

 

そんな風に捉える方が僕としてはすっきりします。夢が叶えることが至上の幸福、たしかにその瞬間は幸福でしょうが、人は夢を叶えても生き続けます。むしろ大事なのは夢を持ち続けることではないかと思います。

 

そもそもなぜ、こんなことを布団の中で思い浮かんだのか。思い返してみると、現在の僕の職業が関わっています。

 

現在の僕の職業は鉄道の運転士です。そう、あれです。「出発・進行」と喚呼し、ガタンゴトンと列車を走れせるやつです。最近は撮り鉄乗り鉄など、鉄道関係は番組でも色々取り上げられていますね。僕は小学生の頃、鉄道運転士が夢でした。卒業文集にもたしか書きました。しかし、いつの間にかその夢は忘れ、世間、人の評価を気にしながら、中学、高校、大学と進学しました。ただ、人の評価、自分のプライドを守るためだけに進学し、明確な目標を持たず生活していたため、当然就職活動になると大いに悩むわけです。そんな中、小学生の頃の夢を思い出したわけです。運よく、就職試験をパスし、運転士の試験に合格し、夢を叶うことができました。運転士になれた時は、一時は忘れた夢とはいえ、やはり嬉しかったです。しかし、運転士の仕事を続けると、だんだんと違和感みたいなものを感じるのも事実でした。早い話、運転士はルーチンワークなわけです。多少の違いこそあれど、基本は毎日同じ作業の繰り返しです。どうも飽き性の自分にはこれがいけないみたいです。自分なりに毎日、同じ繰り返しにならないようにするために、運転技術に磨きをかけたり、新たな発見を探してはいますが、改善しませんでした。恐らく、僕は夢が叶ったことで安堵してしまったのでしょうね。人生に一区切りついたといいますか。後は僕の性格にも起因していると思います。僕はもともと飽きっぽい性格なので、何かをずっとひたすらやり続けるのが苦手です。非常に残念ではありますが、運転士も例外ではありませんでした。性格が職人気質で、一つのことにひたすら極め続ける性格であれば、結果はまた違ったものになったかもしれません。

 

職人気質・・・・

夢が叶ってもハッピーであり続けるには職人気質の方が向いてるのかもしれませんね。

そういう意味では僕は、一つの夢を持ち、それを叶えてしまうと、ハッピーではなくなってしまいます。

じゃあどうればよいか・・・

 

  • 夢をたくさん持つ
  • 生きいる間には実現できそうにない大きな夢を持つ
  • そもそも夢をもたない

 

この3択が頭に浮かんできました。今の段階ではどの選択肢を選んでいるか自分でもわかりません。ですが、別にその現状に悲観的になっているわけではありません。夢ではないですが、やりたいこと、目標はあります。このやりたいこと目標は言い換えると「小さな夢」になるのかもしれませんね。別に人に言えるようなかっこいい夢を持ってなくても、悲観的になるのではなく、自分のペースでやっていきたいと思います。

 

人は夢が叶ったらハッピーエンド

 

そんなに人生単純ではないと僕は感じています。夢に対して、人それぞれの捉え方がありますし、感じ方があります。夢を持つことはあくまで、

人生をハッピーにする手段の一つであり、夢がなくても人生をハッピーにできると思います。

ですから、別に夢がなくてもいいわけです。大事なのは世間一般の価値観に左右されずに、自分の感覚を大切にし、自分の価値観を形成することではないでしょうか。

 

それでは、だいぶ眠くなってきましたので、この辺で失礼します。

ここまで読んでいただきありがとうございまいた。