便利になると人の心に不便をもたらす。

昔よりも今の方が便利だけど窮屈になってるのかなぁよくと思う。

インターネット、スマホの普及によって

いつでも、どこでも簡単に友達と連絡できるし、情報も簡単に手に入れら

れる。

しかもSNSの普及により誰もが情報を発信できるようになった。

このおかげで僕もブログを立ち上げてツイッターにアップできるし、

みんながそれぞれの発信した情報を共有できる。

こうやって書くといいこと尽くしのような感じもするけど、

世の中うまくできていて、悪いこともちょこちょこでてくる。

 

いつもでも、どこでも簡単に連絡できるということは、裏を返せば、自分の都合関係なく、相手の都合でいつでもどこもで連絡がくるということだ。

そろそろ寝ようかなぁと思う時にラインがくる。

バイブがなってスマホの画面を見ると、返信は明日でいいやと思って

既読にせず、そのまま寝る。

でもこの既読機能があるおかげで、なんか相手に罪悪感を感じてしまう。

本当は単にラインを開いてないだけで、画面を確認してるから未読を装ってることになりる。

そういう自分が少し嫌になる。

まぁこれがまだ友達ならいいけど、職場の上司とかだったらかなりストレスになるだろう。

次の日に「すいません、昨日は寝てたんですぐに返せませんでした。」

という嘘の言い訳を伝えなくてはならない。

これは結構な労力が必要だ。

 

SNSも中々やっかいだ。

あれってポジティブなことを書くのが礼儀みたいになってる。

だから画面を開くとたいていキラキラしてる記事が多い。

自分が究極に落ち込んでいる時にみると毒以外の何物でもないと感じる。

「あ~、俺何やってるんだろ。」

「みんな楽しそうにしてる中、俺は仕事で疲れて休日でも布団の中だよ」

とまぁこんな感じだ。

まるでSNSを見るとネガティブ=悪のようなイメージを自然と植えつけられる。

 

僕はそういうのがもう嫌になって、SNSに関してはほとんどやらなくなった。

他人に共有を求めなくても大丈夫なようにやっていこうとした。

まぁこうやってほそぼそとブログをやるのが調度良いと感じだ。

 

ネット社会になって便利な反面、常に監視されている感じもするし、SNSとか見るとポジティブなものに偏ってる。

昔はそんなものは一切なかったから不便だけど、ラインの返信のことで悩まなくていいし、SNS見て落ち込むこともなければ、偏った価値観を植えつけられることもない。

しかも不便が当たり前ということは人の懐も大きかったと思う。

今やネット注文で指定日配達や美容室の予約、ナビを設定すれば迷わずいける。

要は思い通りになることが当たり前だ。

それが昔は一切なかったわけだから、思い通りにならなくて当たり前。

きっと昔の人は「まっ世の中こんなもんでしょ」

というのが普通だった。

でも今はちがう。

ちょっとでも道に迷ったらイライラするだろうし、美容室の予約を取ったのに、指定の時間になっても呼ばれなかったらもう待てない。

現に僕の担当してる美容師さんが、昔に比べてそういうお客さんが増えてると言っていた。

 

とまぁこんな感じで人の心もせかせかして窮屈になりやすい環境になってる気がする。

便利なものはどこか人の心に不便をもたらす。

そういうことを少し頭に入れて生活するのも大事だなあと思う。

書くことで得られたもの

平凡な日常
些細な事柄

端から見ればたいしたことのない人生でも書くことで、人生が彩られるかもしれない。

書くことは僕の想像に彩りを与え、現実にも与えてくれるかもしれない。
だから僕は日々励むことが出来るようになってきている。

仕事との向き合い方

仕事のモチベーションがどうしてもあがらない

やる気が出ない

嫌でしょうがない

そんな時どうすればいいのか。

 

僕はいつもこれらの悩みに苛まれ、

結局答えを見つけられずに何日も鬱屈した日々を過ごす。

 

自分なりに仕事を楽しめるように工夫してみたこともある。

最初の数日はうまくいくが、

結局1週間ぐらいするとガス欠になってくたばる。

そして休日は寝込んでしまい余計に体調が悪くなる。

 

じゃあいっそのこと仕事はつまらない、辛いものだと割り切ってみたりもするが、

それはそれで自分がまるで奴隷になったような気分になる。

だんだんと精神が荒廃していく感覚がある。

 

ふと思ったが、そもそも僕は仕事に対してあれこれ考えすぎてるのかもしれない。

 

そもそも僕にとって仕事とは何か

それは生きるためである。

仕事=生業である。

 

しかし、今の時代、仕事は自己実現、自分らしさという

ファッショナブルな意味合いもある。

昔より仕事はキラキラしたものというイメージが作られている。

(特に就活の説明会ではそのイメージ作りが甚だしい気がする。今にして思えばあの異様なギラギラした雰囲気はなんだったんだろう。)

 

こういう仕事に対するイメージが僕を混乱させてい気がする。

 

仕事=生業と僕は書いたが、それは仕事が非常に地味で泥臭いものを連想させる。

今の時代、仕事=生業という捉え方で働くということは、

かわいそうなことであり、残念なことであり、負け組

ということを暗に認識させられる。

なぜなら地味なことはSNSにアップすることも出来ず、他人と共有するネタではないからだ。

つまり間接的に自分は影の立場にいる人間ということをアップしないことによって認識する。

 

でも僕からしてみれば仕事=生業こそが本質だと思う。

今日、明日を生きるために僕らは仕事をする。

決して自己実現、自分らしさの為に仕事しているわけではない。

そういったものはあくまで付随的なものに過ぎない。

 

日本は豊かになったから自己実現、自分らしさを求めるようになったんだと思う。

もし貧しくて生きるのがやっとの状態なら、多くの人は自己実現、自分らしさというものを捨てて、金を選び、生きようとするだろう。

 

仕事の本質は生業である。

豊かな時代だからこそ、今はその本質が隠れているが、

僕たちの本能はそのことを決して忘れはしない。

生業ということは僕らは生きるという真っ当な行為をしているということだ。

だから他人や世間からどんなイメージを持たれていようが、

自分の仕事に誇りをもっていいと思う。

だってあなたは仕事によって精一杯生きているのだから。

僕はこの生業という言葉を知ることによって救われた。

 

僕は生業という言葉を得てから、仕事に対して無心に取り組もうと思った。

生きるということは無心になって淡々とコツコツやることのような気がするからだ。

それが仕事であり、生業であると僕は思う。

 

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あなたはその声に耳を澄ますだけでいい

自分の心に耳を澄ませてごらん
やさしくノックしてごらん
手の甲で軽く「コンコン」と
そしたらドアの向こう側から
小さな手で「トントン」と返事をしてくれるかもしれない

そっとドアに耳を当ててごらん
そしたらドアの向こうから
小さな小さな声で囁いてくれるかもしれない

その声はあなたの本当の想いを発してくれるかもしれない
あなたはその声に耳を澄ますだけでいいんだよ

僕は過去の自分に縛られて、現在の自分を見失っていたんだ

僕は感動を大切にしたいんだ。

 

それがわかっていなかった。
感動の前にこういうやり方でやらなければならない、こうあるべきだと自分を縛り付けていたんだ。

 

美しい風景を見たい

 

僕の求める感動はそこにあったはずだ

だけど、趣味が自転車だから、自転車でいかなければいけない。
体調が多少悪くてもそれが僕である自己承認の手段だった。
だから僕は自転車で行くことにこだわってしまった。

僕は美しい風景による感動を求めていた。

それが一番の目的だったはずだ
それがいつの間にか今までの自分を壊してしまうのが怖くて自転車で行くという手段にこだわってしまった。
結局僕は目的にたどり着けなかった。
手段にとらわれ、目的を果たせなかった。
手段を変えることは自分を否定してしまうように感じた。

でもそれは違う

 

本当の僕は美しい風景に出会い、感動することだったんだ

 

僕は過去の自分に縛られて、現在の自分を見失っていたんだ

 

もう一度自分の気持ちを見つめてみよう

過去の自分に囚われることなく、素っ裸の自分も見つめてみよう

一貫性がなくてもいい

あいつはコロコロ変わっている

誤解されてもいい

自分の一番大切なことを見失わないことが一番大事なことなんだ

『貧しき人びと』を読んで、ドストエフスキーは心根の優しい人ということがわかった。

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ドストエフスキーの『貧しき人びと』を読んだ。

ドストエフスキー

この名前を聞くと真っ先に思い浮かぶのは

文豪

という文字だろう。

あまりにも有名であり

著名人が推薦する本であるがゆえに

これほど庶民が読む本と無縁のような印象がある。

 

しかし『この貧しき人びと』はまさに

庶民を対象にした本であり、彼が切実に庶民に寄り添って

世間を見ていたかがひしひしと伝わってきた。

ドストエフスキー=文豪

という定義から

ドストエフスキー=心底心の根の優しい人

というイメージに変えてくれた本だった。

この本は難しい表現はなく、非常に読みやすい

 

経済至上主義の現代においては、

まず仕事が出来る人、能力がある人

に価値が置かれる。

そうであるなら、

心の優しい、善良で不器用な人々は

どうすれば良いのか。

果たしてこの世に生きる価値はあるのか。

どうやって自分の価値を自負しなければならないのか。

 

このような問いに対して真剣に、

本当に真剣にドストエフスキーはそのような人々に

寄り添って考えていてくれたことがこの本で伝わってきた。

 

 

読んだ後、自分の心の中で様々な化学変化が起きているのが分かる。

まだそれをうまく言葉にできない。

ただ、言えることは

この本を読んだことにより、僕の心は前よりも磨かれ

人として一歩前進んだ実感があるということだ。

こんな体験をさせてくれる本に出合えてよかった。

 

 

 

スーパーの帰り道で

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スーパーに行くときにいつも通ってる道だけど

今日はいつもと違う道のように感じた

季節と時間で道は変わるんだ